神上寺(読み)しんじようじ

日本歴史地名大系 「神上寺」の解説

神上寺
しんじようじ

[現在地名]豊田町大字江良

山の東山腹、木屋こや川支流本浴ほんえき川の上流にある。豊浦山と号し高野山真言宗。本尊は愛染明王。

各時代を通じて朝廷・諸将・藩主などの祈願所とされた大寺で、「和漢三才図会」にも「豊浦山神上寺、在西ノ市村」と記される。華山を中心に古くから長門地方における山岳宗教の拠点霊場の一つとして栄えた寺院で、多くの古跡が残る。

古くは後醍醐天皇宸筆の山号を掲げていたと伝える山門を入ると、無明むみよう橋があり、弘法大師作の即身成仏の頌を刻む。橋を渡ると悟道に入るといわれ、左に六地蔵が並ぶ。熊野くまの神社の鳥居をくぐると左が渓谷で、その奥に法性ほつしよう滝がある。参道を進むと古い坊の跡があり、右側の下之坊しものぼう跡に雪舟作と伝える庭がある。その奥右に中之坊なかのぼうへの通用門と御成門があるが、中之坊は昭和四〇年(一九六五)に火災で護摩堂庫裏・僧坊を全焼。護摩堂・庫裏のみが再建されている。

華山には神上寺関係の古跡が各所に点在するが、山上からおもなものをあげると、西にしヶ嶽仲哀天皇殯葬所跡・大日だいにちヶ嶽熊野神社上宮跡・岩屋いわや観音・熊野神社中宮大御堂跡・熊野神社下宮跡などである。またこの地は弥生時代にすでに信仰の対象にされたらしく、弥生中期頃と思われる祭祀用銅鉾四振が、寺宝として蔵される(文化一三年の「神上寺什物帳」にすでに記入があり、現在県指定有形文化財)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報