礼羽村(読み)らいはむら

日本歴史地名大系 「礼羽村」の解説

礼羽村
らいはむら

[現在地名]加須市富士見町ふじみちよう土手どて一―二丁目・愛宕あたご一―二丁目・不動岡ふどうおか二―三丁目・礼羽

東は加須村、北はあいの川を限り、南は青毛堀あおげぼり川を境に上高柳かみたかやなぎ(現騎西町)。「吾妻鏡」建保元年(一二一三)五月二日条にみえる礼羽蓮乗は当地出身の武士と考えられる。羽生はにゆう領に所属(風土記稿)。天正一八年(一五九〇)の三千石以上分限帳(「天正慶長諸大名御旗本分限帳」内閣文庫蔵)に「一、三千石 武州礼内 設楽甚三郎」とみえる。寛永二年(一六二五)一二月設楽甚三郎(貞代)は徳川氏から「太多庄之内礼羽村」で五九〇石余を宛行われた(記録御用所本古文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報