石禾郷(読み)いさわごう

日本歴史地名大系 「石禾郷」の解説

石禾郷
いさわごう

和名抄」東急本は「伊佐波」、高山寺本は「以左和」の訓を付す。山梨西郡の一つ。後世には石和の字が当てられ、伊沢・石沢とも書いた。現東八代郡石和いさわ町一帯を郷域としていたと推定される。「石禾郷」の初見は「三代実録」元慶八年(八八四)一一月五日条で、「甲斐国言、嘉禾生管山梨郡石禾郷正六位上清原真人当仁宅、其一、十三茎五十穂、其一、十二茎六穂、当仁、是従四位上豊前王之子也」という記事である。「神鳳鈔」には伊勢外宮領として石禾御厨二五〇丁を記し、「尊卑分脈」の武田信光の項に「右大将家御時賜石禾庄」とみえることから、平安時代末頃には当郷に御厨や庄園が置かれていたことがわかる。

石禾郷
いさわごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本に「以左和」、東急本に「伊佐波」の訓がある。出石いずし袴狭はかざ遺跡出土木簡に「(表)□□□□□郷□方ア公稲積 白米」「(裏)延暦十六年正月廿日」があり、最初の五文字は「養□郡石禾」の可能性があるとされる。康治二年(一一四三)八月一九日の太政官牒案(安楽寿院古文書)安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)末寺養父郡「水谷神宮寺」の四至のうち南限は「大塚并石和郷高田庄堺」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android