石浦村(読み)いしうらむら

日本歴史地名大系 「石浦村」の解説

石浦村
いしうらむら

[現在地名]金沢市本多町ほんだまち一―三丁目など

笠舞かさまい村の北西、犀川中流右岸に位置し、小立野こだつの台の西麓にあたる。かつては石浦七ヵ村の中心的村落で村域は現在のなが町から本多町・さいわい町付近に及ぶ犀川右岸を占めていたが、金沢城下形成の早期から町場化が進み、旧村域に石浦町・石浦新町百姓ひやくしよう町などが町立てされ、江戸時代にはほとんど田地はなかった。また古くは北半が下石浦、南半が上石浦と称されたという。「尊卑分脈(藤原時長孫)に加賀斎藤系林氏支流大桑氏の庶流に三郎光綱を祖とし藤次実光―五郎長光と続く石浦氏が載る。光綱は鎌倉初期頃の人物と推定され、当地を開発領とする在地領主であろう。

文明一四年(一四八二)一二月の大野庄年貢算用状(鹿王院文書)では米方の国下行分のうちに「石浦用水入目」四八石九斗五升がみえ、銭方でも「川北・石浦用水礼銭」九貫六〇文に充てる三貫五六文が除分とされている。

石浦村
いしうらむら

[現在地名]高山市石浦町

北流するみや川を挟む形で広がり、下流側は片野かたの村。飛騨街道が通り、上流側宮村(現大野郡宮村)との境辺は両側から山が迫り、高保木たかほきの地名が示すように交通の難所であった。仁安元年(一一六六)頃の飛騨国雑物進未注進状(宮内庁書陵部蔵)に石浦出作田がみえる。同出作田はほとんどが除田とされ、内訳は八町二段が一宮水無みなし神社(現宮村)八講田・一宮彼岸田・一宮朔幣田など。中世石浦郷の遺称地。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳では一宮郷に村名がみえ、片野村とともに高付される。

石浦村
いしうらむら

[現在地名]久留米大橋町合楽おおはしまちあいらく

巨瀬こせ川下流左岸に位置し、屋敷地は日田街道の南側にある。天正三年(一五七五)一〇月五日写の草野家居屋敷注文(草野文書/久留米市史7 資料編古代・中世)に「石浦 廿町」とみえる。本高は四八五石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高五三〇石・役高五六一石。寛政元年(一七八九)の撫斗代六斗三升、人数一六八、馬一三(上三郡取調手鑑)。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高五六八石。

石浦村
いしうらむら

[現在地名]宮津市字石浦

由良川西岸の河口近く、由良ゆら村の南に位置する。

近世には加佐郡に所属し、慶長検地郷村帳に「由良村之内石浦村」とみえる。田辺藩領。井上金次郎家所蔵文書に「石浦村ハ元来由良村之内由、元和十年村分レ之由聞伝候」とあり、享保三年(一七一八)の領中郷村高付に石浦村高一〇〇石と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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