真俗二諦(読み)シンゾクニタイ

デジタル大辞泉 「真俗二諦」の意味・読み・例文・類語

しんぞく‐にたい【真俗二諦】

仏語真諦俗諦浄土真宗では、仏法を真諦、王法を俗諦として相依そうえ相資の関係にあるとする。

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精選版 日本国語大辞典 「真俗二諦」の意味・読み・例文・類語

しんぞく‐にたい【真俗二諦】

〘名〙 仏語。真諦と俗諦。理解の内容は複雑であるが、一般には出世間的な真理と世間の常識で認められる真実、または仏教の真理に目ざめた人が知っている事柄と世間一般の人が知っている事柄、あるいは真実平等の理としての真如世俗の差別のすがた、さらには転じて仏法と王法、宗教的信仰と世間的道徳の意に解される。
愚管抄(1220)三「真言宗とて又一切真俗二諦をさながら一宗にこめたる三世諸仏の己證の真言宗とをば、この二人大師わたし給て、両人灌頂道場をおこし」
[補注]「米沢本沙石集‐五本」に「仏法には真俗(シンソク)の二諦の法門あり。真諦は虚空平等の理なれば、自他依正等の差別なし。諸法は自性空なるが故に、俗諦は諸法は因縁の和合せる似相をやぶらずして、凡聖位ゐ分れ、迷悟品こと也」とある。

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改訂新版 世界大百科事典 「真俗二諦」の意味・わかりやすい解説

真俗二諦 (しんぞくにたい)

中国,南北朝期にとくに三論宗教義中心として論議された仏教教理概念で,真諦と俗諦のこと。真諦とは絶対不変の真理,俗諦とは世俗的真理を言う。三論宗では空(否定)の立場を真諦,有(肯定)の立場を俗諦とし,真俗二諦のいずれかに執着する立場を超越して無執着の真理,つまり空有以上の立場に至らしめる手段としてその教義の中心にすえる。三論宗の大成者,隋の吉蔵に,この問題のきわめて論理的な展開が見られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「真俗二諦」の意味・わかりやすい解説

真俗二諦
しんぞくにたい

仏教用語。真諦 paramārtha-satyaと俗諦 saṃvṛti-satyaのこと。真諦とは,勝義諦,第一義諦ともいい,出世間的な絶対的真理をさし,俗諦とは,世間諦ともいい,世間的な真理をさす。その意味は経典によって種々異説がある。『倶舎論』などでは,世間一般の常識とみられる真実を俗諦といい,法があると説くことを真諦としている。また大乗仏教では,すべてのものには実体がなく空であると知ることを真諦となし,言葉や思想で表わされる世界を俗諦というが,真諦をいい表わすためには俗諦によらなければならないと説いている。浄土真宗では,仏法を真諦,王法すなわち世間的道徳を俗諦と呼んでいる。

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百科事典マイペディア 「真俗二諦」の意味・わかりやすい解説

真俗二諦【しんぞくにたい】

仏教で絶対的悟りと相対的悟りを区別していう用語。真諦は勝義諦・第一義諦ともいい,謬(あやまり)のない絶対的真理をいう。俗諦は世俗諦・世諦ともいい,世俗人の執着するままを容認する相対的真理をさす。真俗二諦は種々に解されているが,大乗仏教では,真諦を説くにも世俗の言語や思想をもってせねばならず,世俗諦によらねば真諦へは至れぬとして,真俗二諦は不二と説く。真宗では仏法を真諦,王法(世俗の道徳)を俗諦とする特殊の真俗二諦説をとっている。

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