相賀村(読み)おおかむら

日本歴史地名大系 「相賀村」の解説

相賀村
おおかむら

[現在地名]島田市相賀

伊太いた村の北、大井川左岸に接する。大部分山地で、中央を相賀谷おおかや川が南流し大井川に合流している。大井川は古くは相賀山と地脈の続いている牛尾うしお山の北西の岸を通っていたが、天正一八年(一五九〇)流れが東に変わり、相賀の本郷を通るようになったという(「駿河記」など)。文明八年(一四七六)四月吉日の鐘銘写(御伽藍明神社旧蔵)に「志駄郡相賀村」とあり、当村鎮座の御伽藍おがら明神社に住人の則時らが鐘を寄進した。

相賀村
おうかむら

[現在地名]唐津市相賀

唐津湾の西海岸に面し、相賀崎が海中に突き出して東松浦半島上場うわば丘陵との間に平坦地をつくる。村内は河川に欠け、灌漑はもっぱら上葉うわば溜池などに依存する。

この地は「肥前風土記」「延喜式」にいう逢鹿駅に比定される。また「松浦古事記」には、神功皇后が朝鮮出兵帰途、この地の沖で戦勝を「おおがせよ」と述べたことにより相賀の名が起こったと地名伝承を記す。

相賀村
おうがむら

[現在地名]新宮市相賀、三重県南牟婁みなみむろ紀宝きほう瀬原せばら

高田たかた村の東にある山村で、逢賀とも書く(熊野見聞記)。村の北から東を熊野川が流れる。村内を貫流して熊野川に注ぐ高田川流域に集落が散在、川の合流地点より一・三キロほど上流まで小舟が往来していた。熊野川対岸に小名瀬原がある。熊野川対岸にある浅里あさり(現紀宝町)の枝郷で、慶長検地高目録では浅里村(高二九三石余)に含まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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