盧照鄰(読み)ろしょうりん

精選版 日本国語大辞典 「盧照鄰」の意味・読み・例文・類語

ろ‐しょうりん ‥セウリン【盧照鄰】

中国初唐詩人河北省の生まれ。字(あざな)は昇之(しょうし)、号は幽憂子。七言詩に秀れ、初唐四傑一人とされる。七言古詩「長安古意」は唐詩選収録。「幽憂子集」(七巻)がある。(六三五頃‐六八四頃

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「盧照鄰」の意味・わかりやすい解説

盧照鄰
ろしょうりん
Lu Zhao-lin

[生]貞観11(637)?
[没]永昌1(689)?
中国,初唐の詩人。幽州范陽 (北京) の人。字,昇之。号,幽憂子。年少時から才学の名が高かったが,20代のなかばで悪疾にかかったため新都 (四川省) の尉を辞し,各地を転々としつつ療養に努めたが好転せず,ついに投水自殺した。王勃楊炯 (ようけい) ,駱賓王とともに「初唐四傑」として「王楊盧駱」と並称される。境遇を反映して厭世的な詩句が多いが,他の3人とともに新しい唐詩の形式と内容を確立するきっかけをつくり,特に駱賓王とともに七言歌行の詩体の完成に貢献した。代表作『長安古意』。詩文集『幽憂子集』 (7巻) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「盧照鄰」の意味・わかりやすい解説

盧照鄰
ろしょうりん
(630?―680?)

中国、初唐の詩人。幽州范陽(はんよう)(河北省涿(たく)県)の人。字(あざな)は昇之。幽憂子と号す。高祖の子の鄧(とう)王の府に仕えて才能を愛され、のち新都(四川(しせん)省新都県)の尉(い)となったが、病気のためほどなく辞職し、長安の西の太白山中に隠棲(いんせい)した。しかし病気は重くなる一方のため、具茨(ぐし)山(河南省)の麓(ふもと)に移り住み、自分の墓をつくった。そして「釈疾文(しゅくしつぶん)」「五悲」などを著して悲運を痛み、ついには親族と決別して、近くの潁水(えいすい)に身を投げて死んだ。王勃(おうぼつ)、楊炯(ようけい)、駱賓王(らくひんのう)とともに初唐四傑の一人に数えられ、「長安古意」など七言詩に優れた作品を残して、その発展に貢献した。『幽憂子集』7巻がある。

[齋藤 茂]

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百科事典マイペディア 「盧照鄰」の意味・わかりやすい解説

盧照鄰【ろしょうりん】

中国,初唐の詩人。范陽(河北省)の人。幼少より才学の誉れ高かったが,病身のため,それを苦にして自殺。王勃(おうぼつ),楊烱(ようけい),駱賓王(らくひんのう)とともに初唐の〈四傑〉といわれ,長編の七言歌行にすぐれた。詩集《盧昇之集》。

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世界大百科事典(旧版)内の盧照鄰の言及

【初唐四傑】より

…中国,唐の則天武后の時代のすぐれた詩人4人,王勃(おうぼつ)(649‐676),楊炯(ようけい)(650‐695?),盧照鄰(ろしようりん)(637‐689),駱賓王(らくひんのう)(640?‐684?)をいう。略して王楊盧駱ともいう。…

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