益子(町)(読み)ましこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「益子(町)」の意味・わかりやすい解説

益子(町)
ましこ

栃木県南東部、芳賀郡(はがぐん)にある町。1894年(明治27)町制施行。1954年(昭和29)七井(なない)、田野の2村と合併。八溝(やみぞ)山地の西麓(せいろく)に位置し、北西部を小貝(こかい)川が南流する。真岡(もおか)鉄道と国道121号、123号、294号が通じる。中心の益子は、中世益子氏の城下町で、近世黒羽藩(くろばねはん)大関氏の所領だった。特産品の益子焼は、1853年(嘉永6)ごろ大塚啓三郎(1828―1876)によって始められ、現在は日用雑器や民芸品を主として、土色の渋みが民芸ブームにのり、関東地方では著名な焼物。第二次世界大戦後は約60だった工場が、200以上立地し、町の周辺部への進展がみられる。町は鍵(かぎ)型路のある街村で、北側にバイパスが通じ、町役場、中型スーパーが立地するとともに、浜田庄司(しょうじ)ゆかりの益子参考館周辺に多数の民芸店も開店し、町並みが北部に延びつつある。米作とリンゴ、ナシなどの果樹栽培やハウスイチゴの促成栽培が盛ん。南部には益子県立自然公園があり、高館城跡(たかだてじょうせき)、楼門三重塔・本堂内厨子が国の重要文化財に指定されている西明寺(さいみょうじ)、地蔵院綱神社などを含めてハイキングコースになっている。自然公園内の益子の森に天体観測施設がつくられている。古くは米と葉タバコの集散地だったが、益子焼の本拠地として4月末からの連休と11月の連休時期に陶器市(いち)が開かれ、関東一円からの観光客でにぎわい、外人観光客も多い。面積89.40平方キロメートル、人口2万1898(2020)。

[村上雅康]

『『益子町史』全7巻(1982~1990・益子町)』


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