白滝遺跡群(読み)しらたきいせきぐん

日本歴史地名大系 「白滝遺跡群」の解説

白滝遺跡群
しらたきいせきぐん

白滝村に所在する一〇〇ヵ所以上の遺跡総称で、黒曜石の原石山である赤石あかいし山一帯と、白滝村内を北東方へ流れオホーツク海に注ぐ湧別ゆうべつ川と支湧別しゆうべつ川流域一帯にある。赤石山一帯には多数の黒曜石露頭のほか原石が採取できる沢が数多くあり、石器製作の痕跡を示す剥片類が多量に出土する遺跡がある。しかし森林地帯のため規模や時期など実態は不明なものが多い。いっぽう湧別川と支湧別川に挟まれた三角地帯には数段の河岸段丘が発達し、旧石器時代を主体とする遺跡が多数確認されている。

白滝での黒曜石製石器の存在は昭和二年(一九二七)頃から遠間栄治の収集石器によって知られていた。しかし旧石器時代の石器という形では扱われず、学界で注目されるのは群馬県笠懸かさかけ岩宿いわじゆく遺跡の同二四年の発掘以後、同二八年の吉崎昌一による旧石器としての確認の後である。吉崎は同三〇―三三年に芹沢長介・湊正雄ら、さらに北海道大学解剖学教室とミシガン大学の共同調査団などと白滝第13・第4・第27・第30・第33地点などを発掘し、同三四年には芹沢と石器の編年案を示した。さらに同年には考古学・地質学・地形学・土壌学の研究者による白滝団体研究会が組織され、白滝第31・第32地点が、翌三五年に白滝第37・第38地点が、翌三六年にはホロカざわI遺跡が調査され、その成果は同三八年に「白滝遺跡の研究」としてまとめられた。それによれば石器の組成や遺跡の地質学・地形学的所見と黒曜石水和層年代などから、大型石刃・舟底形石器・ホロカ型彫器などの約二万―一万五〇〇〇年前の文化層I(前期白滝文化、第4・第13・第27地点とホロカ沢I遺跡)と、尖頭器・彫器、湧別技法・白滝型細石刃核などの約一万五〇〇〇―一万二〇〇〇年前の文化層II(後期白滝文化、第30・第32・第33・第37地点)に分けられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「白滝遺跡群」の解説

しらたきいせきぐん【白滝遺跡群】


北海道紋別郡遠軽町上白滝にある旧石器時代後期の集落跡。世界的に有名な黒曜石原産地である赤石山から流れ出す湧別川流域の河岸段丘上に位置し、100ヵ所ほどの遺跡が分布している。遺跡からは黒曜石製石器および、製作過程で生じた大量の剝片破片が約600万点出土し、高度な石器製作技術を想像させる遺跡である。この遺跡の出土品によって、日本における初期の旧石器時代研究が進んだ。東北アジア一帯に分布する特徴的な細石刃(さいせきじん)製作技法は「湧別技法」という標式となっている。1989年(平成1)、白滝遺跡の第13地点遺跡が「白滝遺跡」として国の史跡に指定された。その後、遺跡の広がりや内容などが新たに確認され、1997年(平成9)に追加指定され、名称を「白滝遺跡群」と改めた。また、2011年(平成23)には1858点の石器資料が重要文化財に指定された。JR石北本線白滝駅から車で約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「白滝遺跡群」の解説

白滝遺跡群
しらたきいせきぐん

北海道遠軽(えんがる)町白滝地区からの湧別(ゆうべつ)川にそって,約13kmの範囲に分布する後期旧石器時代の遺跡群。石器を製作するための黒曜石の原産地を控え,生活に適した広大な台地をもつため,100カ所近くの旧石器遺跡がある。1955年(昭和30)頃から調査され,北海道の旧石器研究の基礎をつくった。石器には細石刃(さいせきじん)・尖頭器(せんとうき)・白滝型船底形石器などがあり,船底形石器の製作技法は湧別技法と名づけられた。13地点の遺跡は国史跡。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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