町畠村(読み)まちはたむら

日本歴史地名大系 「町畠村」の解説

町畠村
まちはたむら

[現在地名]志布志町志布志・志布志一―三丁目

有明ありあけ(現志布志湾)に面した湊町志布志郷に属する。東端志布志川(前川)河口志布志湊から西端安楽あんらく川河口までの間の海岸から海岸段丘に至る低地上に東西に細長く開けた村で、東および北は同郷ちよう村、西は同郷安楽村。近世初期には帖村とともに志布志村として一括されていたが、近世中期には湊の繁栄とともに商業地区である志布志筋沿いの野町も栄え、志布志千軒町といわれるほど賑わったのに伴い、野町、漁民居住区である浦町、大慈だいじ門前が志布志村から分離したという(志布志町誌)。分村の時期は定かではないが、「三州御治世要覧」には延享(一七四四―四八)頃の帖村一千四七六石余と並んで町畠村五〇四石余が記される。旧高旧領取調帳には帖村のうち町畠とあり、高五〇四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報