田中千柳(読み)たなか・せんりゅう

朝日日本歴史人物事典 「田中千柳」の解説

田中千柳

生年生没年不詳
江戸中期,上方で活躍した浄瑠璃作者。大坂豊竹座で享保8(1723)年から2年間西沢一風と合作したが,実質は千柳によるところが多いとされる。作品は時代物に「頼政追善芝」「女蝉丸」「南北軍問答」「大仏殿万代石楚」,世話物に「井筒屋源六恋寒晒」「昔米万石通」などがある。なかで「頼政追善芝」は大当たりをとり,また当時興行的には成功しなかったものの「大仏殿万代石楚」は信念を貫いて生きおおせる誇り高き武士としての景清像を描いて余すところがない。「昔米万石通」はのちの相撲物,侠客物の作品群に影響を与えた点で注目される。<参考文献>門田恭子「田中千柳・小考」(『演劇学』18号)

(黒石陽子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中千柳」の解説

田中千柳 たなか-せんりゅう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。
大坂豊竹座の座付き作者で,享保(きょうほう)8年(1723)から10年にかけて「頼政追善芝」「大仏殿万代石楚(ばんだいのいしずえ)」など8編をかく。すべて同座の立作者西沢一風(いっぷう)との合作だが,実際は千柳がほとんど執筆したといわれる。

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