出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
中国、甘粛(かんしゅく)省北西部の県級市。玉門油田があり西北地区の石油工業基地の一つである。酒泉(しゅせん)地級市に属する。常住人口15万9792(2010)。蘭新(らんしん)線より支線が引き込まれている。河西(かせい)回廊の北西端に位置し、古くから中国世界から西域(せいいき)への入口であった。万里の長城の西端である嘉峪関(かよくかん)はこの東にある。ただし漢代に置かれた玉門関(西域の玉がもたらされる入口という意味)は、いまの敦煌(とんこう)市の北西、小方盤城(しょうほうばんじょう)がその遺跡とされ、関が廃されたのち、守備隊が後方に移されて県とされたのがここであるという。その後、北方異民族の支配下にある期間も長く、清(しん)代に玉門県(いまの玉門鎮)がふたたび置かれていたものの、とくに発展した都市ではなかった。
しかし、近代に油田が開発されるとともに都市も急速に発達した。付近の石油の存在は古く南北朝時代から知られていたが、1938年国民党は甘粛油田局を設けて採油設備を建設し開発を始めた。中華人民共和国成立後、さらに開発が進められ、中国石油開発の初期における代表的油田であった。1955年、油田地区を市とし、のちに玉門県をも併合した。しかし、2001年に中国石油天然気(ペトロチャイナ)の玉門支社が酒泉市粛州(しゅくしゅう)区に移って以降、石油関連産業は縮小している。
旧県付近は疏勒河(そろくが)の形成するオアシスで、オアシス農業が行われている。
[秋山元秀・編集部 2017年6月20日]
中国,甘粛省北西部,甘粛回廊にある石油工業都市。人口19万(2000)。1938年老君廟に石油が発見され,その開発がはじまった。解放後は内戦による破壊を復興し,さらに1950年代後半には鴨児峡など新油田の開発や大型石油コンビナートの建設がみられた。パイプラインや鉄道により蘭州などの都市へ送油される。なお,東北地区の大慶など中国の新しい油田地帯の建設に果たした玉門の石油労働者・技術者の役割は大きいものがあった。
執筆者:小野 菊雄
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