酒泉(読み)シュセン

デジタル大辞泉 「酒泉」の意味・読み・例文・類語

しゅせん【酒泉】

中国甘粛省の商業都市古来より西域との交通の要衝で、前漢武帝の時、西域四郡の一つとして酒泉郡が置かれた。付近には、北魏から唐代にかけての仏教遺跡文殊山石窟寺院がある。

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精選版 日本国語大辞典 「酒泉」の意味・読み・例文・類語

しゅせん【酒泉】

[一] 中国、周代の村の名。現在の陝西省澄城県の西方にあたり、その地に湧出する泉の水は酒を造るのに適しているところから起こった名という。一説に、河南省洛寧県の西方ともいう。
[二] 中国、漢代の郡名。前漢の武帝が河西四郡の一つとして酒泉郡を置いた。現在の甘粛省酒泉県の東北方にあたるが、郡名としては隋代に廃止された。その地にあった泉は、酒の味のする水を湧出したという。
※和漢朗詠(1018頃)下「酒泉郡の民 一頃だにもいまだ沍陰(ごいん)の地を知らず〈大江匡衡〉」 〔応劭‐地理風俗記〕
[三] 中国甘粛省北西部、祁連山脈のふもとにある都市名。漢代に郡が置かれたことに始まる。五胡十六国時代は西涼国の都。万里長城西端に近く、古来西域への交通の要路を占めている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「酒泉」の意味・わかりやすい解説

酒泉
しゅせん / チウチュワン

中国、甘粛(かんしゅく)省北西部の地級市。粛州(しゅくしゅう)区と、瓜州(かしゅう)など2県、2自治県を管轄し、敦煌(とんこう)、玉門(ぎょくもん)の2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。常住人口111万5400(2015)。紀元前2世紀末ごろ、匈奴(きょうど)を駆逐した前漢の武帝がこの地に酒泉郡を置いたのに始まる。7世紀初頭の隋(ずい)の時代に酒泉郡は粛州と改められた。地名の由来にもなった湧水に恵まれ、古くから河西(かせい)回廊の要衝であり、五胡(ごこ)十六国時代には、李暠(りこう)(351―417)、李歆(りきん)(?―420)の2代にわたって西涼(せいりょう)の都が置かれていた。

 石油産業を柱に、機械工業、冶金、食品加工業などが立地するほか、2000年代以降は風力発電産業も発展している。伝統工芸品では玉杯の「夜光杯(やこうはい)」が有名。市の北東250キロメートルには国内最大級の酒泉衛星発射センターがあり、ロケットや人工衛星、有人宇宙船が打ち上げられている。蘭新線、北京(ペキン)や連雲港(れんうんこう)への自動車道が通じる。郊外南西に位置する文殊山は、古代の石窟(せっくつ)寺院の遺跡として名高い。

[關尾史郎・編集部 2017年6月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「酒泉」の意味・わかりやすい解説

酒泉 (しゅせん)
Jǐu quán

中国,甘粛省北西部の都市。河西回廊地帯の要地で,北大河に沿い南に蘭新鉄道(蘭州~ウルムチ)が通っている。漢の武帝のとき前111年(元鼎6)ごろシルクロード確保のため禄福県をおき,酒泉郡(河西四郡の一つ)の中心とした。五胡十六国時代には西涼国の都となり,隋以後,酒泉郡を粛州とし,唐の初めに県名を酒泉と改めた。中華民国から県は省に直属し,現在は酒泉地区公署の所在地。南西の文殊山石窟は5世紀にさかのぼる仏教遺跡である。
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百科事典マイペディア 「酒泉」の意味・わかりやすい解説

酒泉【しゅせん】

中国,甘粛省西部の都市。別名粛州。古来河西回廊のオアシス都市として著名で,東西交通の要衝をなしてきた。蘭新鉄路(蘭州〜ウルムチ)に沿い,付近は農業地帯。北西の嘉峪関(かよくかん)は長城の西端。中国の衛星発射センターがある。41万人(2014)。
→関連項目玉門関

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