玉田神社(読み)たまだじんじや

日本歴史地名大系 「玉田神社」の解説

玉田神社
たまだじんじや

[現在地名]久御山町森 宮東

もりの南西部に鎮座祭神武甕槌たけみかづち命・応神天皇・天児屋根あめのこやね命・武内宿禰たけしうちのすくね命。旧村社。社記によれば、「人皇四十三代元明天皇の御願なり、本殿ハ春日四社、日本武家の祖神にて御摂家藤原氏の大祖なり、于時元明帝、和銅三年勅願に依りて、和州高市郡藤原の都を今の奈良へ遷すとき、皇城の鬼門方除の祈願に依りて、八幡三社と武内の神を御勧請有りて八社を祭りて、八社大明神と称し奉り」とあり、創建を和銅三年(七一〇)と伝える。その後の変遷はつまびらかでないが、天正一四年(一五八六)に御牧勘兵衛尉尚秀により再建された(社蔵棟札)

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔丹波津宮〕

当社は、古くは丹波津たにはのつ宮と称されていたらしく、社蔵の天正一四年の棟札に「丹波津宮」とみえ、また文政三年(一八二〇)宮司野口重為より御牧武太夫宛に出された文書(社蔵)に「山城国久世郡淀御牧郷玉田森玉田大明神往古丹波津宮八社大明神奉申」とあり、古い御輿銘に「山城国久世郡美豆ノ御牧郷、奉新造丹波津宮御輿事、文明十二庚子年九月吉日、大願主藤原朝臣中村光尚」とあったという(「村社玉田神社御由緒調査書」社蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報