狭山江御厨(読み)さやまえのみくりや

日本歴史地名大系 「狭山江御厨」の解説

狭山江御厨
さやまえのみくりや

佐山さやま北東双栗さぐり神社の傍らにあったと推定される、平安時代の鯉飼養のための御領池。「類聚雑要抄」上に、「御歯固、云云、用途料山城国狭山江厨」とあって、狭山江でとれた鯉を皇室に献上していたことがわかる。

山城名勝志」は、「狭山江ノ御厨、今在佐山村下津屋村林村西、村氏神社傍有池昔大池也、近世埋田故今狭少也云云、是可狭山江」と記し、寛延二年(一七四九)の山城国全図(宇治県神社蔵)には、双栗神社の西に大きな池を描き狭山江御厨と記している。この地は粘土層で、最近まで蓮の実が採集され、田植も困難なほどの湿地であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報