犬山(市)(読み)いぬやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「犬山(市)」の意味・わかりやすい解説

犬山(市)
いぬやま

愛知県北西部にある観光都市。濃尾(のうび)平野の北端犬山扇状地の扇頂部、木曽(きそ)川左岸に位置する。1954年(昭和29)犬山町と城東(じょうとう)、羽黒(はぐろ)、楽田(がくでん)、池野(いけの)の4村が合併して市制施行。名古屋鉄道犬山線が通じ、犬山駅から小牧(こまき)線、広見線を分岐する。また、国道41号が走る。日本ライン、明治村があり、県内観光地としては名古屋市、三河湾とともに三大観光地の一つ。また、1995年(平成7)犬山国際観光センターが完成、1996年には国際会議観光都市の指定を受けるなど、国際観光都市として発展している。木曽川にかかる犬山橋を渡ると岐阜県各務原(かかみがはら)市で、北部は堅い古生層の角岩、珪(けい)岩、粘板岩などからなる山地、東は尾張丘陵に囲まれ、南西は開けて犬山扇状地となる。北部と東部は飛騨木曽川国定公園(ひだきそがわこくていこうえん)に指定されている。産業は米、薪(まき)、抹香(まっこう)の産地であったが、明治以降、大扇状地の桑畑を背景に養蚕生糸の県内随一の拠点となった。第二次世界大戦後は繊維、食品、金属機械などの工業が盛んになった。楽田地区ではミカンが栽培されている。先史、古代の遺跡も多く、『日本後紀』弘仁(こうにん)5年(814)の条の丹羽(にわ)郡の地で、戦国時代には犬山、木下(きのした)、羽黒、楽田に城があった。犬山城は平山城(ひらやまじろ)で1469年(文明1)織田広近(おだひろちか)が木下に築城したのを、1537年(天文6)信康(のぶやす)が現在地に移した。成瀬正成(なるせまさなり)が城主となったのは1617年(元和3)で尾張藩の支藩となった。丘陵上にそびえ立つ三重五層の天守は国宝。城の麓(ふもと)にある茶室如庵(じょあん)(織田有楽斎(うらくさい)の作)も国宝である。モンキーパーク内の日本モンキーセンターは、サルに関する総合研究所で、近くには京都大学霊長類研究所(2022年閉鎖。組織改編され、跡地には京都大学ヒト行動進化研究センターがある)もある。博物館明治村は入鹿(いるか)池のほとりにあって、面積約100万平方メートルの敷地に、明治時代の代表的建築を移築してつくった野外博物館である。また、岐阜県可児(かに)市にまたがる丘陵地に野外民族博物館「リトルワールド」が1983年開設された。このほか、鵜飼(うかい)も楽しめる。年中行事には3月の大縣(おおあがた)神社の豊年祭、4月の犬山祭(車山行事は国指定重要無形民俗文化財およびユネスコの無形文化遺産)、6月の鵜飼開き、8月の石上げ祭などがある。面積74.90平方キロメートル、人口7万3090(2020)。

[伊藤郷平]

『『郷土読本犬山』(1962・犬山市)』『『犬山市史』全10巻(1979~1998・犬山市)』


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