牧(牧地)(読み)まき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「牧(牧地)」の意味・わかりやすい解説

牧(牧地)
まき

牛馬などの家畜を放し飼いする所。大化改新(645)以前の文献に現れてくるが、その詳細は明らかでない。改新後、牧は律令(りつりょう)国家の一翼として制度化され、漸次整備されていった。668年(天智天皇7)7月、牧を多く置いて馬を放たせたとあり、700年(文武天皇4)3月、諸国をして牧地を定め牛馬を放たしめたことがみえる。令制の牧は、その後編纂(へんさん)された厩牧令(くもくりょう)、厩庫律(くこりつ)に規定されている。それによると、全国の牧はすべて兵部(ひょうぶ)省兵馬司がつかさどり、国司のもとで牧長以下の牧官がその経営にあたり、国ごとに設置された軍団に供給する馬匹のほか、駅馬・伝馬や農耕牛の増殖を図った。しかし平安初期には軍団制の崩壊とともに、牧は諸国牛馬牧(官牧)、勅旨牧(御牧)、近都牧(寮牧)の三つに分かれた。諸国牛馬牧は令制の牧のうち牧地に適して残った東西の18か国39牧を数え、勅旨牧は左右馬寮(めりょう)所管の東国四か国32牧が皇室御料馬の供給をもっぱら担い、近都牧は左右馬寮所属で諸国から貢進の繋飼(けいし)牛馬を京都に近い四か国六牧に放牧した所である。これらの官営牧のほか、摂関家をはじめ貴族や寺社が経営・領有した数多くの私牧がしばしば史料に登場する。

 やがて公私の牧は武士階級の台頭する起因ともなる一方、牧地の耕地化・荘園(しょうえん)化が進み、牛馬の小作(厩飼(きゅうし))が普及し衰退していったものと思われる。鎌倉時代になると、軍事および運輸の目的から、東北、中部、中国、九州の牧畜に適した地方の牧が隆盛し続けて、近世の牛馬産地の基礎を築いた。下って江戸時代には、幕府が下総(しもうさ)(千葉県)の小金(こがね)五牧・佐倉(さくら)七牧など多くの直轄牧場を整備し、また諸藩のなかでも東北地方の諸藩や中国地方の松江藩のように藩牧として再興、奨励して牛馬の生産に意を注いだところが多くあった。

 明治に入ると、殖産興業を目ざして官営および民営の牧場は、外国種畜の輸入や洋式農機具の導入を進めた。一方、軍事用馬匹の改良のため、1896年(明治29)4月には種馬(しゅば)牧場および種馬所の官制を公布し、全国に種馬牧場二か所と種馬所九か所(のちに15か所に増設)が設けられた。現在もこれらの施設の多くは、畜産多様化にあわせて技術の振興のために転換して使われている。現在では、牧は山林原野の共同放牧地による集約的形態で多く営まれている。

[鈴木健夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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