照蓮寺(読み)しようれんじ

日本歴史地名大系 「照蓮寺」の解説

照蓮寺
しようれんじ

[現在地名]高山市堀端町

しろ山の北山麓、城山公園旧二の丸跡に位置する。光耀山と号し、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。現在鉄砲てつぽう町にある高山別院照蓮寺は、もと白川しらかわ中野なかの(現大野郡荘川村)にあって中野御坊ともよばれたが、天正一六年(一五八八)一三世宣明のとき高山城下に移った。この中野照蓮寺の高山引地に際し、本堂および庫裏などの建物と嘉念坊善俊の墓は、白川門徒の強い要望もあってそのまま故地に残された。照蓮寺一〇世明心の孫明海(正円)留守居とし、心行しんぎよう坊とよんで高山照蓮寺懸所とした(高山別院史)

照蓮寺
しようれんじ

[現在地名]竹原市竹原町 上市

竜頭山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。中世には定林寺という禅宗寺院で、小早川氏の代々は幼少の時この寺に入って学問を学んだと伝える(竹原下市一邑志「竹原市史」所収)。「閥閲録」所収礒兼求馬家文書に、康安元年(一三六一)一一月九日付の定林寺への寄進状があり、「都宇庄浜新堤定林寺新開発田地事、右限永代所奉寄進也、守先例令知行、可被致祈祷精誠之状如件」とあるが、礒兼氏は竹原小早川家の重臣である。また室町期の竹原小早川家の正月行事を記した正月祝儀例書写(小早川家文書)にも、六日に登城する人のなかに定林寺の名がみえる。

照蓮寺
しようれんじ

[現在地名]津島市宝町

延享五年(一七四八)村絵図では道を隔てて南に西方さいほう寺があり、布屋ぬのやの地にある。帝護山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来立像。

「雑志」に「此ノ寺、往古天台宗ニテ照養院ト号ス。其比、当国清洲ニ鷲巣大夫ト云者有シカ、時ノ乱世ニ無常ヲ観シ出家遁世ノ心発シ、則此ノ照養院ニ来テ剃髪染衣ノ弟子ト成リ、法名ヲ如山ト号ス。然シテ後、本願寺蓮如上人三河ノ国ヨリ当国ニ来リ、当寺ニ三日止宿有テ他力本願ノ広大ナル旨ヲ教化ス。竟ニ蓮如上人ノ弟子ト成リヌ。依テ上人彼ノ如山ヲ改名シテ照蓮ト名ツケラレ、又是ヨリシテ照蓮坊ト号スル由云伝リ」とある。

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百科事典マイペディア 「照蓮寺」の意味・わかりやすい解説

照蓮寺【しょうれんじ】

岐阜県高山(たかやま)市にある真宗大谷(しんしゅうおおたに)派の別院。高山別院とも。親鸞(しんらん)の門弟で主に美濃(みの)国郡上(ぐじょう)郡・大野(おおの)郡で布教していた嘉念房善俊(かねんぼうぜんしゅん)の開基という。蓮如(れんにょ)に帰依した嘉念房明心が1488年白河郷に移し現寺号を称したが,1588年領主金森長近(かなもりながちか)の命で現在地に移転。故地に存続した子坊は現在高山市城山(しろやま)に移転し,1504年建立の本堂は重要文化財

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「照蓮寺」の意味・わかりやすい解説

照蓮寺
しょうれんじ

岐阜県高山市堀端町所在の真宗大谷派の寺院。飛騨地方の有力寺院で,1958年に大野郡荘川村中野から移建された。現本堂は永正1 (1504) 年の造立と伝えられ,真宗寺本堂最古の建築で重要文化財。簡素な住宅風の形式上段押板を設けた内陣と左右余間をつくり,下段の下陣を大きくとった近世真宗本堂の原形を示している。

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デジタル大辞泉プラス 「照蓮寺」の解説

照蓮寺

岐阜県高山市にある浄土真宗の寺院。本堂は1504年頃の建築とされ、国の重要文化財に指定されている。

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