本願寺派(読み)ホンガンジハ

デジタル大辞泉 「本願寺派」の意味・読み・例文・類語

ほんがんじ‐は〔ホングワンジ‐〕【本願寺派】

浄土真宗十派の一。京都西本願寺本山とする。本願寺第12世准如じゅんにょの時に東本願寺大谷派)が別立して以来、両寺相並んで親鸞法統継承

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精選版 日本国語大辞典 「本願寺派」の意味・読み・例文・類語

ほんがんじ‐は ホングヮン‥【本願寺派】

〘名〙 真宗十派の一つ。親鸞の直系で、京都西本願寺を本山とするもの。
※こゝろ(1914)〈夏目漱石〉下「私の生れた地方は大変本願寺派(ホングヮンジハ)勢力の強い所でしたから」

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「本願寺派」の解説

本願寺派
ほんがんじは

真宗十派の一つで,西本願寺(京都市)を本山とする一派。本願寺は京都東山大谷の親鸞(しんらん)廟堂を,親鸞の曾孫覚如(かくにょ)が寺院化したのに始まる。仏光寺の勢力に押され一時衰微するが,8世蓮如の時代に教勢が拡大した。寺内町を形成し一向一揆をおこすなど戦国大名と肩を並べるまでになり,山科,大坂石山,京都西七条へと移転した。11世顕如没後,子の教如が弟の准如に跡を譲るが,徳川家康から東六条の地を寄進され寺をたてた。以後,准如側を西本願寺(本願寺派),教如側を東本願寺(大谷派)とよび勢力を二分,本願寺は分立した。明治期には島地黙雷(もくらい)らにより教団改革がはかられた。海外布教にも力をいれ,今日に至っている。

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世界大百科事典(旧版)内の本願寺派の言及

【浄土真宗】より

…72年政府はようやく一向宗を真宗と称することを許可したが,浄土宗の立場を考えてか,浄土真宗の名を許さなかった。81年6月,東本願寺派を真宗大谷派,西本願寺派を真宗本願寺派と改めた。第2次大戦後,西本願寺は宗名に浄土を付け浄土真宗本願寺派と称するようになった。…

【本願寺】より

…ここに本願寺は東西両派に分かれた。 現在,西本願寺は浄土真宗本願寺派本山で,竜谷山と号し俗に〈お西〉と呼ばれる。東本願寺は真宗大谷派本山で,俗に〈お東〉と呼ばれる。…

※「本願寺派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」