津島市(読み)ツシマシ

デジタル大辞泉 「津島市」の意味・読み・例文・類語

つしま‐し【津島市】

津島

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日本歴史地名大系 「津島市」の解説

津島市
つしまし

面積:二五・三六平方キロ

県の西南部に位置し、周囲は海部あま郡の町村で東は美和みわ蟹江かにえ七宝しつぽうの各町、南は佐屋さや町、西は立田たつた村、北は佐織さおり町に隣接する。地形は東に蟹江川、西に木曾川用水海部幹線路と接し、市域内に目比むくい川・日光につこう川・善太ぜんた川・旧天王てんのう川が流れる低湿平坦地帯で、俗に木曾四十八流と称した古木曾川の流土砂によってデルタとして形成された地域である。地盤沈下が進行し、昭和四八年(一九七三)の測量では市域の九〇パーセントが海抜零メートル以下の地域になっている。天正一三年(一五八五)一一月二九日から翌年二月一二日に及ぶ連続地震(家忠日記)で旧津島村では九五町六反余に及ぶ田畑が沈下し水腐れになっている(天正二〇年八月二日「津島神主領目録」津島神社蔵)。中心の市街地域は旧津島村の自然堤防地帯で、農村部の集落も自然堤防上にある。

津島の名は承安五年(一一七五)正月一八日書写の大般若経巻二百三十一奥印記勧請文(七寺蔵)の「津嶋」を初見とする。市域全体は古代には海部郡内であった。

〔原始〕

善太川東岸の埋田うめだ遺跡からは弥生時代後期のパレス式丹彩土器をはじめ、須恵器とともに石製模造品勾玉や篦被のある古墳時代の典型的な銅鏃を住居跡から出土している。目比川の東部寺野てらの遺跡は弥生時代の中期土器、後期のパレス式櫛目文丹彩土器はじめ土師器・須恵器を出土。寺野遺跡の南には蛭間ひるま遺跡・大木だいぎ遺跡・宇治うじ遺跡の三遺跡が約一キロ前後を一辺とする三角形の頂点にあって、並行櫛目文の弥生式土器や土師器・須恵器を出土。日光川西岸の中一色なかいしき遺跡は土師器を出土。各遺跡共通の特色は自然堤防上の集落跡のため、奈良・平安・鎌倉時代までの各種遺物や井戸遺構もみられる(津島市史)

〔古代〕

和名抄」にみえる海部郡津積つづみ志摩しまの二郷は呼称がつまって「つしま」となり、津積郷は旧天王川東岸の旧津島村本郷ほんごう、志摩郷は西岸の向島むこうじま(天王島)と古くは推定された(尾張国地名考、尾張神名帳集説訂考)。旧津島村の東部にあたる埋田遺跡からは平安時代の濃緑・淡黄緑釉の皿と碗の破片が出土している。嶋田しまだ郷は「新撰姓氏録」に「尾張国嶋田上下県」とある地で、市域の南部神島田かみしまだ地区であろうか。そうであれば島田臣の本縁になる(「新撰姓氏録」右京皇別、「古事記」中巻神武、「文徳実録」斉衡二年条)

「延喜式」神名帳の海部郡八座のうち「憶感オカムノ神社」は現神守かもり上町の憶感かみまちのおかん神社に比定される。「国玉くにたまの神社」は「尾張神名帳集説訂考」によれば、祭神大国霊神と地主神の古称から津島神社の境内社弥五郎殿やごろうでんにあてている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「津島市」の意味・わかりやすい解説

津島〔市〕
つしま

愛知県西部,木曾川下流部左岸にある市。1947年市制。1955年神守村,1956年永和村の一部を編入。中心市街地の津島は,江戸時代は東海道「七里の渡し」を避けて通る佐屋街道宿場町として発達。津島神社鳥居前町としても繁栄。江戸時代より繊維工業が盛んで,木綿から綿毛交織を経て,毛織物生産に転換し,尾西毛織物工業地域の一中心地を形成していた。しかし,1970年代半ばの繊維不況による転・廃業で,服地生産と縫製業などに移行した。付近一帯は低湿な沖積デルタで米とハウス栽培のイチゴなどが生産されているが,兼業化が進んでいる。国の重要文化財の津島神社で行なわれる川祭りは津島天王祭として知られ,尾張津島天王祭の車楽舟(だんじりぶね)行事は国の重要無形民俗文化財に指定されており,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして国際連合教育科学文化機関 UNESCO世界無形遺産に登録された。名古屋鉄道の津島線と尾西線が通る。面積 25.09km2。人口 6万942(2020)。

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