漢陽寺(読み)かんようじ

日本歴史地名大系 「漢陽寺」の解説

漢陽寺
かんようじ

[現在地名]鹿野町大字鹿野上 大地庵

鹿野上かのかみの中心地の北端にあり、臨済宗南禅寺派。鹿苑山と号し、本尊聖観音

寺伝によれば応安七年(一三七四)大内盛見の時その祈願所として、中国元の径山きんざん寺に入山して修行した後、石見国の寺院にいた用堂を招して建立径山寺末寺としたという。しかし盛見の開基では年代が合わず、応安七年なら大内弘世の時となる。用堂の開山を信じるなら、弘世の時に一庵を建立し、漢陽寺の出来上がったのはその庵を基として盛見の時ということであろうか。盛見は康暦二年(一三八〇)奏聞して十刹に列した。その院宣写(「注進案」所収)

<資料は省略されています>

とある。

寺名は用堂が杭州留学中に訪ねた洛陽城の地形にこの地が似るゆえと伝えられ、山号も初めは鶴林山と称したが、七世愚海の時、傷ついた鹿が山門を訪れ、和尚手当ての礼に数日後玉をくわえて山門に現れたことにちなむとも伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「漢陽寺」の解説

漢陽寺

山口県周南市にある寺院。臨済宗南禅寺派。山号は臨済宗南禅寺派、本尊は聖観世音菩薩。14世紀の建立とみられる。重森三玲作庭による「曲水の庭」に代表される庭園精進料理で知られる。紅葉名所

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