溝延城跡(読み)みぞのべじようあと

日本歴史地名大系 「溝延城跡」の解説

溝延城跡
みぞのべじようあと

[現在地名]河北町溝延

天文本大江系図(菅井半五郎氏旧蔵文書)には、寒河江大江氏七代時茂の長子茂信が溝延氏を名乗り、初代とされる。溝延城の構築は、寒河江大江氏が南北朝時代に、かつて北条氏によって収公された北寒河江きたさがえ庄に対する備えを固くし、さらに北寒河江庄に再び勢力を伸ばそうとする意図があったのであろう。築城年代は不明だが、茂信は正平二三年(一三六八)漆川うるしがわ(現西村山郡大江町)の戦で、他の大江一族らとともに自刃したという。茂信以下の溝延氏歴代の事績は明らかでないが、寒河江一族のなかで重要な地位を占め続け、また天正(一五七三―九二)初年の最上家内訌にからむ動きのときは、溝延氏は最上義守派として動いていた(性山公治家記録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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