湯浅半月(読み)ゆあさはんげつ

改訂新版 世界大百科事典 「湯浅半月」の意味・わかりやすい解説

湯浅半月 (ゆあさはんげつ)
生没年:1858-1943(安政5-昭和18)

明治・大正期のキリスト教詩人聖書学者。新島襄と同郷で,群馬県安中生れ。本名吉郎。1885年同志社卒業の際自作の史詩《十二の石塚》を朗読し,同年自費出版したことで知られている。これは旧約聖書の《ヨシュア記》から素材を取った,近代文学史で最初の個人詩集である。渡米して神学ヘブライ語を修め,91年帰国後同志社教授になり旧約聖書の原典訳をライフワークとした。第2詩集《半月集》(1902)には《十二の石塚》の改作《古英雄》を含む21編が収められたが,詩史の展開に遅れたものであった。琵琶の演奏や書画鑑定通じ,京都府立図書館長時代に《京都叢書》の刊行にあたるなど,生涯にわたり関心の幅は広かった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湯浅半月」の意味・わかりやすい解説

湯浅半月
ゆあさはんげつ

[生]安政5(1858).2.16. 上野,安中
[没]1943.2.4. 東京
詩人,聖書学者。本名,吉郎。 1885年同志社英語学校卒業。卒業の式場で朗読した旧約聖書を題材とする新体詩『十二の石塚』が評判となり,日本最初の近代詩集として同年刊行された。同年渡米,91年エール大学を卒業して帰国,母校の教授となり,聖書学を講じ,1902~03年欧米視察後,京都府立図書館長となり図書館学の普及に貢献した。さらに 21~22年の渡米後,雑誌『劇』を創刊。また旧約聖書『雅歌』のヘブライ語原典からの翻訳を試み,『ヨブ記』『箴言』『伝道の書』を私訳,刊行。代表的詩集に『半月集』 (1902) があり,草創期の新体詩興隆に寄与した。

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百科事典マイペディア 「湯浅半月」の意味・わかりやすい解説

湯浅半月【ゆあさはんげつ】

詩人,聖書学者。本名吉郎(よしお)。上野国生れ。同志社英学校卒。渡米してオベリン,イェール両大学に学び,学位を得て帰国。同志社で聖書を講義し,その後図書館関係,牧師などの職につく。1885年,同志社の卒業式に際して朗読した《十二の石塚》は,翌年自費出版され,明治詩壇最初の個人詩集となった。題材を旧約聖書の《ヨシュア記》に求め,五七調の荘重な古典的風格を備えた作品。他に《半月集》がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯浅半月」の解説

湯浅半月 ゆあさ-はんげつ

1858-1943 明治-昭和時代前期の詩人,聖書学者,図書館学者。
安政5年2月16日生まれ。同志社英学校卒業時の明治18年旧約聖書に題材をとった長詩「十二の石塚」を刊行。24年母校の教授となり,旧約聖書をおしえる。のち京都平安教会牧師,京都府立図書館長。昭和18年2月4日死去。86歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。本名は吉郎(よしお)。

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