港川遺跡(読み)みなとがわいせき

日本歴史地名大系 「港川遺跡」の解説

港川遺跡
みなとがわいせき

[現在地名]具志頭村長毛

旧石器時代の遺物包蔵地。港川フィッシャー遺跡・港川古代人骨出土遺跡ともいう。雄樋ゆーひ川河口に近い川岸沿いの標高約一五―二〇メートルの琉球石灰岩丘陵のフィッシャー(割れ目)内にあたる。フィッシャー内には大きく分けて二層の堆積土がみられ、下層ではシカ化石が目立ち、ほかに小動物の化石も多くみられる。上層にはイノシシの化石などが含まれている。かつては採石場であったが、一九六七年(昭和四二年)に大山盛保が採石された石のなかからイノシシの化石を発見。翌年に数点の人骨を確認し本格的な調査が行われることとなった。以後数度にわたり発掘調査が行われている。遺構および人工遺物は確認されていないが、人骨が少なくとも五体、多ければ九体分発見され、うち一体はほぼ全身の骨格がそろっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「港川遺跡」の意味・わかりやすい解説

港川遺跡
みなとがわいせき

沖縄県八重瀬(やえせ)町港川にある旧石器時代遺跡。粟石(あわいし)(牧港(まきみなと)石灰岩)を採石する石切り場のフィッシャー(割れ目)から小動物の骨とともに現生人類ホモ・サピエンス)の人骨(港川人)が出土して一躍学界の注目を集めた。放射性炭素(C‐14)による年代測定では約1万8000年前の古さをもつことがわかった。人骨の分析から、筋肉の発達した体形で、身長が男性で154センチメートル、女性で144センチメートルほどの低身であったと推定されている。また、人骨の特徴が中国の柳江(りゅうこう)人と類似するため大陸との関係が注目され、日本人起源の問題に新しい一石を投じた。出土人骨のうち3体はほぼ完全な骨格を備えており、形質人類学史上世紀の大発見といわれた。人工遺物を伴わないことから、なんらかの偶発的事故により形成された遺跡と考えられている。

[高良倉吉]

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