清水武甲(読み)しみずぶこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「清水武甲」の意味・わかりやすい解説

清水武甲
しみずぶこう
(1913―1995)

写真家。埼玉県西部の秩父地方で終生活動し、この地の風土を撮り続けた。秩父町(現秩父市)に生まれる。1927年(昭和2)秩父大宮尋常高等小学校を卒業。1年間の写真技術の修業を経て、父親の引退により家業の写真館を16歳で継ぐ。写真館営業のかたわら、秩父盆地や周辺の山村風物山岳景観などを撮りはじめる。37年全日本写真連盟関東本部写真展へ出品し、文部大臣賞受賞。42年日本写真美術展で第二席入選。43年陸軍に召集され朝鮮従軍。第二次世界大戦末期に復員して、秩父でカメラマンとして報道活動を行う。

 戦争終結後、46年(昭和21)に地元有志らと文化サークル「ぎんなん社」を創設し、図書館活動、牛乳の共同購入、演劇活動などを手がける。また同年秩父山岳会、秩父写友会を率先して発足させるなど、地域の文化振興のため尽力。47年より国画会写真部に参加。秩父をテーマとした清水の記録撮影への持続的な取り組みは、55年刊の第1作『秩父』以降、シリーズとして数々の写真集にまとめられる。69年刊の『秩父』では「秩父の美しさはその影の中にこそある」として、斜めに射し込む太陽光線と風土とが織りなす光景モノクロームでとらえた写真群を集めた。『秩父悲歌』(1971)では、明治中期におこった民衆暴動「秩父事件」の事跡をたどり、歴史を参照する視点をもち込みつつ当時の秩父の今ある姿を撮影。また、同年刊『秩父民俗』では祭や伝統芸能にレンズを向け、『秩父山塊』(1974)では奥秩父の山々や原生林集落、峠などを丹念に記録。『秩父浄土』(1976)では同地の観音霊場34か所をめぐり、民衆の信仰とのかかわりにおいて秩父の風土を描こうとした。72年日本写真協会年度賞受賞、76年全日本写真連盟より功労者表彰を受ける。

 写真活動以外に、奥秩父の自然保護のための運動などでも活躍。74年に全日本緑化推進委員会より、国土緑化功労者として表彰を受けた。

[大日方欣一]

『『秩父多摩』(1960・朝日新聞社)』『『奥秩父――山旅と風土』(1962・山と渓谷社)』『『秩父幻想行――観音霊場、そのこころと風土』(1968・木耳社)』『『秩父』(1969・木耳社)』『『秩父悲歌――秩父事件の心と風土』(1971・春秋社)』『『秩父民俗――耕地の人々』(1971・木耳社)』『『秩父山塊』(1974・春秋社)』『『秩父浄土――秩父観音霊場写真集』(1976・春秋社)』『『武甲山』(1976・秩父山岳連盟)』『『秩父戦中の記録』(1977・木耳社)』『『秩父祭』(1979・木耳社)』『『にんげん秩父――蔭と襞の中に』(1980・春秋社)』『『秩父路50年』(1986・新潮社)』『『清水武甲文集』全3巻(1983・言叢社)』『『秩父学入門 わが愛する風土へ』(1984・さきたま出版会)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清水武甲」の解説

清水武甲 しみず-ぶこう

1913-1995 昭和-平成時代の写真家。
大正2年10月12日生まれ。昭和4年生地の埼玉県秩父で清水写真館をつぐ。以後,秩父の風土,民俗,生活を追って記録写真をとりつづけ,「秩父悲歌」「秩父路50年」などの写真集を刊行秩父多摩国立公園の指定運動や原生林保護にも力をつくした。平成7年1月23日死去。81歳。

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