清地村(読み)せいじむら

日本歴史地名大系 「清地村」の解説

清地村
せいじむら

[現在地名]杉戸町清地・清地一―六丁目・内田うちだ二丁目・倉松くらまつ三丁目・同五丁目・杉戸二丁目

杉戸宿の南東に位置し、村の南西部を日光道中が通る。田園簿に村名がみえ、田高五三〇石余・畑高三二三石余で、幕府領元禄郷帳では高七七九石余で、国立史料館本元禄郷帳によると旗本酒井・三宅・能勢三氏の相給となっている。天保元年(一八三〇)当時は旗本高田氏も加わり四給されている(「羽生領免除願」県立文書館蔵)

清地村
きよじむら

[現在地名]清水市清地

但沼ただぬま村の西、興津おきつ川の上流域に位置する。江戸時代の領主変遷小島おじま村に同じ。元禄郷帳では高六二石余。助郷は東海道興津宿、由比ゆい宿(現由比町)へ出役(興津宿助郷帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報