興津(読み)おきつ

精選版 日本国語大辞典 「興津」の意味・読み・例文・類語

おきつ【興津】

[一] 静岡市清水区の地名。旧庵原郡興津町。東海道由比江尻の間にあった旧宿駅興津川に沿って身延山への道も通じる。清見(せいけん)寺がある。奥津。息津。沖津。
[二] 千葉県勝浦市の地名。海岸南房総国定公園の一部。
[三] 高知県高岡郡窪川町の地名。かつてのカツオ漁業の根拠地。小室の浜は海水浴場として有名。

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デジタル大辞泉 「興津」の意味・読み・例文・類語

おきつ【興津】

静岡県静岡市の地名。もと東海道の宿駅。清見せいけん清見関きよみがせき跡がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「興津」の意味・わかりやすい解説

興津 (おきつ)

駿河国(静岡県)の宿場町。古代駅家として《延喜式》に息津(おきつ)と見える。東は興津川・薩埵(さつた)峠,西は清見寺山が駿河湾に迫る東海道の難所,清見寺山下には清見関が設けられ,坂東への備えとした。鎌倉時代以降は入江氏支流の興津氏が宿の長者として支配,室町時代以降今川氏の被官となった興津氏はこの地に居館を構え,戦国期には薩埵山に警護関を置いた。1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定され,以後宿場町として発展。興津宿は本宿と中宿町から成り,中宿町から興津川沿いに北へ甲州往還身延街道)が分岐,駿甲境の宍原宿をへて身延より甲府へ通じ,交通の要衝であった。〈東海道宿村大概帳〉によれば,宿並10町余,人別1668,家数316,本陣2,脇本陣2,旅籠屋34である。江戸中期以降は興津川流域の村々で盛んに生産される和紙や薪炭の集散地となった。アマダイを塩干しした興津鯛,清見寺寺下の膏薬は興津の名産。1961年清水市に合体。2003年合併により静岡市となる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「興津」の意味・わかりやすい解説

興津
おきつ

静岡県中部,静岡市清水の集落。旧町名。 1961年清水市 (現静岡市) に編入東海道 (国道1号線) と身延山へ向う街道 (同 52号線) の分岐点に位置。南は駿河湾に臨み,風光明媚で知られた清見潟には古代,清見ヶ関と息津駅がおかれた。江戸時代は宿場町として繁栄。明治になって東海道本線が開通すると温和な気候とすぐれた風景のため保養地や海水浴場となり,西園寺公望井上馨伊藤博文らが別荘を建てた。現在,海岸寄りは埋め立てられ,清水港の興津埠頭に一変した。また興津川の谷沿いの山地斜面と谷底は静岡みかんの主産地の一つ。臨済宗の清見寺庭園は名勝。

興津
おきつ

千葉県南東部,勝浦市南西部の集落。外房の漁港。近くに「おせんころがし」と呼ばれる断層崖や海食洞,妙覚寺がある。地域一帯は南房総国定公園に属する。

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百科事典マイペディア 「興津」の意味・わかりやすい解説

興津【おきつ】

静岡県静岡市の一地区。東海道の宿場町として繁栄,明治以降は別荘地でもあった。東海道線,国道1号線,52号線が通じる。清見潟は埋め立てられ清水港の一部になっている。三保松原の展望地清見寺がある。興津川河谷はミカンの多産地。
→関連項目清水[市]

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事典・日本の観光資源 「興津」の解説

興津

(静岡県静岡市清水区)
東海道五十三次」指定の観光名所。

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