淵名庄(読み)ふちなのしよう

日本歴史地名大系 「淵名庄」の解説

淵名庄
ふちなのしよう

庄域は広瀬ひろせ(旧利根川)はや川に挟まれた地域に比定され、佐位さい郡域と一致する。つまり佐位郡が庄園化したもので、佐位(西)庄とも称された。史料上では庄内地名としてもろ郷・波志江はしえ下殖木しもうえき(現伊勢崎市)香林こうばやし郷・今井いまい(現佐波郡赤堀町)木島きじま・中淵名(現同郡境町)花香塚はなかづか(現新田郡新田町)などが確認される。

仁和寺宮の旧記を抄出した天文二年(一五三三)一一月八日の法金剛院寺領目録(法金剛院文書)に「上野国淵名庄 田百九町五段廿五代 畠十八町二段十代」とある。京都仁和寺法金剛ほうこんごう院は大治五年(一一三〇)建立であり、淵名庄もその頃仁和寺領として立庄されたと考えられる。在地領主は「淵名大夫」と称した藤原兼行であろう。秀郷流藤原氏は一二世紀前半には赤城山南麓一帯に蟠踞しており、兼行もその一人である。「淵名」を名乗るように、当地に土着していたと考えられる。秀郷流藤原氏と一族が中心となって一二世紀後半に女堀を開削したとみられ、その終末点が淵名庄の北端にあたるため、女堀は淵名庄開発のために開削されたと推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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