正木文書(読み)まさきもんじよ

日本歴史地名大系 「正木文書」の解説

正木文書
まさきもんじよ

解説 江戸中期に宇都宮藩(元和八年改易)の浪人正木新五左衛門が相伝と自称して所持し、将軍徳川吉宗に献上したもので、国立公文書館内閣文庫蔵「新田岩松文書」など多くの写本が残る。原本は新田宵子蔵の巻子三巻(検注帳・所領目録など二八点)のみ。新田庄の国人新田岩松氏の相伝文書で、二五〇余通にわたる。岩松氏は新田義重孫娘と足利義純の間に生れた時兼を祖とする新田一族の有力庶家で、本宗家没落の後にその遺領を相伝した。上杉禅秀の乱に岩松満純が荷担し誅殺され、家督は甥の持国に移ったため、以後岩松氏は持国系(京兆家)と満純遺子家純系(礼部家)分裂。新田庄支配をめぐり対立を続けたが、寛正二年の家純クーデタにより礼部家に統一され、その礼部家も明応四年の「屋裏之錯乱」とよばれる家臣横瀬(由良)氏の下剋上で実権を失った。正木文書は岩松京兆家の相伝文書である。文書は、新田庄の一郷を名字の地とする地頭領主が、室町時代の関東戦乱のなかで庄園の一円支配を志向していく様子を活写しており、とくに享徳の乱時の足利成氏方の動勢を伝える文書は貴重。嘉応二年の新田庄田畠在家目録は、享徳四年に岩松持国らの手で転写注進されたが、新田庄成立期のほぼ一郡規模の郷名・田畠・在家の状況をうかがわせる。また南北朝末―室町期(一五世紀前半)に岩松満国・満純の実施した検地の帳簿群も当時の村落構造を知るうえで重要な史料である。

活字本群馬県史」資料編五

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報