海龍王寺(読み)かいりゅうおうじ

精選版 日本国語大辞典 「海龍王寺」の意味・読み・例文・類語

かいりゅうおう‐じ ‥ワウ‥【海龍王寺】

奈良市法華寺町にある真言律宗の寺。天平三年(七三一光明皇后創建玄昉(げんぼう)開山と伝えられる。平城京の北東隅にあたり、隅(角)寺、脇寺隅院(すみのいん)とも呼ばれた。国宝五重小塔などがある。

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日本歴史地名大系 「海龍王寺」の解説

海龍王寺
かいりゆうおうじ

[現在地名]奈良市法華寺町

法華ほつけ寺の北東に隣接してある。真言律宗で、本尊は十一面観音。寺地は平城左京一条二坊一四坪を主とし、東は東二坊大路の一部と一条三坊三坪の西端にかかる。当寺のため東二坊大路は切断されている。寺伝によると天平三年(七三一)光明皇后の本願で造立されたというが、白鳳時代の古瓦を出土しているので、平城京建設以前にもなんらかの施設があったとみられる。「続日本紀」天平一〇年三月二八日条に「施隅院食封一百戸」、「新抄格勅符抄」に「角院寺百戸天平十年施出雲五十戸、播万五十戸」とあり、「続日本紀」天平神護二年(七六六)一〇月二日条には「奉請隅寺沙門像所現舎利於法華寺」と記す。隅院・隅寺とは、光明皇后の皇后宮(のちの法華寺)の隅院、隅寺という意味であったらしい。海龍王寺の寺号は、保延六年(一一四〇)の「七大寺巡礼私記」に初めて現れる。護国寺本「諸寺縁起集」には次のように記す。

<資料は省略されています>

平安時代は興福寺末であったらしく、同寺の学僧が別当に任じられている(「貞信公記」承平元年三月一五日条、「小右記」長和五年五月一六日条など)。鎌倉時代に再興され、諸堂の完備した立派な寺であったことは、延文元年(一三五六)の南都海龍王寺寺中伽藍坊室之絵図(西大寺蔵)によってわかる。

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デジタル大辞泉プラス 「海龍王寺」の解説

海龍王寺

奈良県奈良市にある寺院。真言律宗。天平年間の開創と伝わる。藤原不比等邸の北東隅にあったため「隅寺(すみでら)(角寺)」「脇寺」などと呼ばれた。五重小塔(国宝)、西金堂、本尊の十一面観音立像(いずれも重文)など、多く文化財がある。

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