海西郡(読み)かいさいぐん

日本歴史地名大系 「海西郡」の解説

海西郡
かいさいぐん

中世までは尾張国に属したが、天正一四年(一五八六)美濃と尾張の国境であった木曾川の大洪水により郡域が分断され、同川右岸地域が美濃国に編入されて成立。近世の郡域は東は尾張国中島なかしま郡・海西郡、北は美濃国中島郡安八あんぱち郡、西は美濃国石津いしづ郡、南は伊勢国桑名郡に接し、現在の海津かいづ海津町・平田ひらた町にあたる(→海津郡。分断される以前の海西郡は、海東かいとう郡とともに「和名抄」にみえる尾張国海部あま郡に含まれた。海西・海東の二郡に分割された時期は、一〇世紀半ば以降一二世紀半ば頃と推定される。「和名抄」海部郡には一二郷が記載され、そのうち物忌ものいみ郷が岐阜県域に比定される。木曾川流域の海部郡は、洪水の度に罹災したものと思われ、「続日本紀」神護景雲三年(七六九)八月九日条には、上流の中島郡とともに大水に遭ったとみえる。

海西郡
かいさいぐん

郡域は現海部あま八開はちかい村・立田たつた村・弥富やとみ(一部を除く)十四山じゆうしやま村・飛島とびしま村・佐屋さや市江いちえにあたる。尾張の西南端に位置し、木曾川東岸沿いに南北に延びる低湿地平野地帯。国道一号辺りを境として中世以前の開発をみる自然堤防地帯と、近世以降の干拓新田地帯とに分れる。東は善太ぜんた川を挟んで海東かいとう郡と、北は旧中島郡と、西は木曾川を挟んで伊勢国・美濃国に接し、南は伊勢湾に臨む。新田開発の進行や河川流路の変遷などから郡域は時代とともに変化した。前出の現在地比定は明治初年のものを示している。

「海西郡」の初見は、嘉禎元年(一二三五)の真清田社領検田目録(久我文書)で、「海西郡十六丁一反」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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