中島郡(読み)なかしまぐん

日本歴史地名大系 「中島郡」の解説

中島郡
なかしまぐん

面積:三〇・一七平方キロ
祖父江そぶえ町・平和へいわ

県西部、木曾川中流域左岸にあり、対岸は岐阜県羽島はしま市。天正一四年(一五八六)の木曾川の大洪水により、境川を流れていた本流が、ほぼ現木曾川の流路に変動し、対岸は美濃国中島郡となった。郡下の町は祖父江町と平和町の二町のみであるが、以前は稲沢市・尾西びさい市・一宮市の一部を含み、江戸時代の天保郷帳によれば、一六七ヵ村でその元高八万二千二五二石九斗四升の地である。

〔原始〕

祖父江・平和両町の遺跡は、日光につこう川・三宅みやけ川沿いに発達した自然堤防上に散見される。現在、祖父江町の山崎やまざき明島あけじまかぶと新田の字海道南かいどうみなみや平和町の東城とうじようなどで弥生時代後期の土器が出土しているが、遺跡の規模などは不明である。古墳は祖父江町の布智ふち神社境内の一円墳以外は現存していないが、古墳時代の土師器須恵器は両町から出土する。

〔古代〕

和銅二年(七〇九)一〇月の弘福寺領田畠流記写(円満寺文書)に「仲嶋郡」とみえる。「和名抄」には中島郡の郷は九つあり、すなわち、美和みわ川崎かわさき拝師はやし小塞おせき三宅みやけ石作いしつくり日部くさかべ神戸かんべ茜部あかなべである。

中島郡
なかしまぐん

中世までは尾張国に属したが、天正一四年(一五八六)美濃と尾張の国境であった木曾川の大洪水により郡域が分断され、同川右岸地域が美濃国に編入されて成立。近世の郡域は東は尾張国中島郡、北は羽栗はぐり郡、西は安八あんぱち郡、南は美濃国海西かいさい郡に接し、現在の羽島市の南半にあたり、ごく一部は愛知県尾西市(→羽島市。「和名抄」尾張国中島郡には九郷が記載され、そのうち川埼かわさき郷が岐阜県域に比定される。

〔近世〕

慶長郷帳では高八千六八一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳でもほぼ同高で、尾張藩領石河光忠領・堀直寄(越後長岡藩)領・稲葉正成(十七条藩)領・平岡頼資(徳野藩)領のほか、旗本日野根高継領・保々則貞領・別所重家領・林勝正領、近藤政成領があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報