江戸後期の儒学者。名は元備、字(あざな)は郷老、春農。通称は彦三郎、別名を紀之、漁村は号。寛政(かんせい)10年11月22日、上総(かずさ)国武射(むさ)郡北清水村(千葉県山武(さんぶ)郡横芝光(よこしばひかり)町)に生まれる。父は恭斎(きょうさい)、母は北田氏。3男1女中の三男。初め父について漢文の訓読を習い、1821年(文政4)江戸に出て太田錦城(きんじょう)に入門し、折衷学を学ぶ。1830年(天保1)江戸下谷(したや)(東京都台東(たいとう)区)で家塾を開き、その書斎を掃葉軒(そうようけん)とよぶ。佐竹壱岐守(いきのかみ)をはじめ諸侯に招かれたが仕えず、1857年(安政4)幕府に登用されて医学館の儒学教授となる。武士以外を教授にした初めての例という。慶応(けいおう)2年9月18日没、69歳。本所(ほんじょ)(東京都墨田区)の天台宗高竜山普賢(ふげん)寺(現在、東京都府中市に移転)に葬られる。学風は経学を重んじ、初め古注・新注を併用したが、しだいに古注に傾き、自宅を伝経盧(でんけいろ)と名づけた。著書に『周易(しゅうえき)漢注考』『尚書漢注攷(こう)』『毛鄭(もうてい)詩義』『伝経盧叢鈔(そうしょう)』などがある。
[三宅正彦 2016年5月19日]
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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