浜町二丁目(読み)はまちようにちようめ

日本歴史地名大系 「浜町二丁目」の解説

浜町二丁目
はまちようにちようめ

[現在地名]中央区日本橋浜町二―三丁目

浜町一丁目の南にある。明治五年(一八七二)旧肥後熊本藩細川氏・因幡鳥取藩池田氏・常陸笠間藩牧野氏・駿河沼津藩水野氏・信濃小諸藩牧野氏・陸奥弘前藩津軽氏の邸とその他の武家屋敷を合せて起立された。

北端にあった小諸藩牧野氏屋敷は北・西は中小旗本屋敷群、東は三卿一橋家屋敷に接していた。沿革図書によれば小諸藩牧野氏屋敷地は延宝―貞享年中(一六七三―八八)松平備前守、元禄―宝永(一六八八―一七一一)は下総関宿藩(宝永二年三河吉田藩。のち日向延岡藩を経て延享四年以降は常陸笠間藩)牧野氏、正徳五年(一七一五)には上野高崎藩間部氏、明和八年(一七七一)・文化五年(一八〇八)には出羽秋田新田藩(のち岩崎藩)佐竹氏の屋敷地。のち小諸藩牧野氏屋敷となり、牧野家は明治維新後も当地にあった(明治六年「沽券図」中央区沿革図集)。小諸藩牧野氏屋敷の南にあった笠間藩牧野氏の中屋敷浜町はまちよう堀東岸から大川(隅田川)端までの東西に長細い地形。沿革図書によれば延宝年中には堀田対馬守と内藤志摩守の屋敷地の一部、元禄八年・同一六年には当時下総関宿藩主であった牧野氏の屋敷となっている。なお万延元年(一八六〇)には敷地内の北西の一部が間部下総守の屋敷となっている。現在、日本橋浜町二丁目一二番地に鎮座する笠間かさま稲荷神社は紋三郎もんざぶろう稲荷・胡桃下くるみした稲荷ともよばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報