日本大百科全書(ニッポニカ) 「教会」の意味・わかりやすい解説
教会
きょうかい
一般諸宗教に共通して、宗教集団や、その目的達成のための会合に用いられる建造物をさす。とくにキリスト教集団にあてられ、イエス・キリストを信じる信徒たちの礼拝が行われる集会所は教会堂とよばれる。日本では、他宗教、たとえば教派神道(しんとう)でも、この語を用いている。
教会のギリシア語源エクレーシアekklēsiaは、元来、ギリシア市民たちの公的集会(議会)などに用いられていたものの転用で、「呼び出された者の集い」を意味し、またその近代語のchurch(英語)、église(フランス語)、Kirche(ドイツ語)などの語源であるkyriakonは、「主(イエス・キリスト)に属する物や建物」ということが出所であると解釈する人々も少なくない。エクレーシアは、紀元前3~前2世紀のギリシア語訳『旧約聖書』(セプトゥアギンタ)では、イスラエルの集団にあてて、その集会をさしており(「申命(しんめい)記」23章3、「ネヘミヤ記」13章1など)、『新約聖書』の福音書(ふくいんしょ)では、「マタイ伝福音書」(16章18、18章17)など、わずか数か所に現れるだけであるが、使徒パウロの手紙やそれ以後の諸書では、キリスト者の会衆をさして公式に用いられている。
[石田順朗]
教会の理念
一般にキリスト教では、教会をほぼ信仰の対象として告白しており(「使徒信条」など)、教会とは何かを問うことは神学的に重要な課題とされている。パウロの表現でいえば、教会は「キリストのからだ」(「エペソ書」1章23)であり、キリストは「教会のかしら」(「エペソ書」4章15)であるが、それは、イエスをキリスト(救い主)と告白して救いを体験した信徒たちの集団、すなわち「神の民」(「ペテロ書、第一の手紙」2章9~10)が、まさに、その存在の根源を救い主イエスにもつ新しい共同体であることを表明している。『新約聖書』の証言による教会の発端は、イエス・キリストの十字架上の死に落胆して四散した弟子たちが、3日後の「復活」によって勇気と力を与えられ、イエスこそ「神の子」であり、「救い主」であると告白させられた体験に基づいている。具体的に形をとって成立したという、いわば教会の設立は、ペンテコステ(五旬節)の聖霊降臨による(「使徒行伝(ぎょうでん)」2章)。このように教会の理念については、聖書に究極的な典拠を求めることになるが、同時に、古くからの信条(「使徒信条」や「ニカイア信条」など)にある表現も教会の姿を示している。それは「聖にして唯一なる公同の使徒的教会」となって描出されるものである。その「聖」は、信徒たちを呼び出す「かしら」なるキリストに起源するもので、教会の構成員や指導者たちの徳性に直接左右されるものではない。教会の「唯一性」にしても、数多くの教派に分立している現実にもかかわらず、「からだは一つ、御霊(みたま)も一つである。……主は一つ、信仰は一つ、バプテスマ(洗礼)は一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである」(「エペソ書」4章4~6)ことに基づいている。そこにこそ教会の「公同普遍性」もある。
教会では、その構成員(教会員)にみられるように、性別、年齢、職業などのすべての差別、区別を越え、さらにそこでは人種的偏見も許されない(「ガラテヤ書」3章27、28)。また地方的諸教会(あるいは諸会衆、「使徒行伝」5章11など)や世界大的な全体教会(「マタイ伝福音書」16章18)をさして教会とよんだり、あるいは「家の教会」(「ロマ書」16章5)を意味したりしても、それは別個の教会をさしているのではなく、「聖にして唯一のキリスト教会」の公同普遍性をいわんとすることである。「使徒的」教会とは、教会が「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である」(「エペソ書」2章20)との事実を示しており、教会の教えと働きとが、歴史的に信徒たちと継続しており、したがって、イエス・キリストに直結していることを明らかにするものである。
[石田順朗]
教会の特質
多くの教派において、洗礼(バプテスマ)は、信徒の新生命を画し献身を表明する重要な礼典(サクラメント)の一つであるばかりでなく、これにより、人は罪を告白し、神のめぐみに浴し、キリストへの信仰を体現し、聖霊を受けて日々再生を経験するうちに、教会の交わりに入れられることで(「コリント書、第一の手紙」12章13)、信徒たるの原点的できごとであると同時に、教会員構成とその活動の基点になっている。
教会のつとめは二重である。第一は、教会員の各自が召し出され、分かち合っているところのイエス・キリストにおける救いの事実をこの世界に証(あか)し、宣(の)べ伝えていく宣教を委任されていることで(「マタイ伝福音書」28章18~20)、教会にとってこの宣教のつとめは本質的であり、その限りでは、教会を「宣教の使命団体」とみることができる。第二は、福音の説教と礼典の執行という「めぐみの手段」を通じて、教会員を育成し、神のかえりみのうちに生活させる牧会のつとめで、「牧会共同体」として教会の働きをとらえることである。これら宣教と牧会のつとめは、別個無関係にあるのではなく、むしろ、「教会のつとめ」の二側面である。したがって、教会は「仕えられるためではなく、仕えるために来た」(「マルコ伝福音書」10章45)と宣言され、また、そのように生きられたイエス・キリストに従うキリスト者たちの歩みのなかで、そのつとめを果たしていく「奉仕する信徒の群(むれ)」とよぶことができよう。
これらの特質は、教会の内的、霊的な実体を表明しているものであって、教会の具体的組織構造は、その実体を具現していこうとする器であるとみることができる。教会は、地上にあっては、長老制、監督制、会衆制というような行政組織上からも、また与えられた使命を遂行していくうえにおいても多様であり、過去にその理想の形態を持ち合わせているわけではなく、また、将来に静止的な意味で一つの完成像をもっているというのでもない。むしろ、教会は絶えず「前のものに向かって、からだを伸ばしつつ」(「ピリピ書」3章13)進行する、いわば「形成途上の会衆」であると描出できよう。
[石田順朗]
諸教会の分立
2000年にわたる教会の歴史を通して、教会観に幅広い相違が生じてきたことは事実であるし、教会はそのために歴史的には教派の分立という展開のうちに存在してきた。たとえば、ローマ・カトリック教会が教皇制度を不可欠のものとしているように、自分たちだけが「地上にあるキリストの唯一の真実な見える教会」の全き教えと伝承と聖職制とを保持しているとみなす正統主義教会の群があり(このなかに東方正教会やローマ・カトリック教会をあげられよう)、また、この教会群に近似していて、純粋にキリスト教的な教えや使徒的司教の継承による職制や真の聖礼典を保有していると考え、他の諸教会を誤っているものとはしないが、しかし「不十分なもの」とみなすヨーロッパの「古カトリック教会」Old Catholic Churchやイギリス国教会(イングランド教会)系の諸教会(日本では日本聖公会)もある。
他方、教会のあり方を「信仰者の会衆であり、そこでは福音が正しく語られ、礼典が正しく行われる所である」(「アウクスブルク信仰告白書」第7条)と定めることで「十分なり」とし、「説教壇と聖餐(せいさん)台」での十分な礼典的交わりを求めるルター派(ルーテル派)の教会や、そのような宗教改革的流れをともにする改革派や長老派教会では、説教と礼典に加えて、信徒の教会訓練の規律を必要なものとして付け加えている。またイギリス国教会から派生し、改革派の影響のもとで、他の諸教会を全きものとして受け入れることのできるような「包括的教会」の教理をもつメソジスト派があれば、各地にある各個会衆が教会の本質を備える自律的な教会の現存在であるという会衆派と、そのような教会の組織体を考えながらも、幼児にではなく、成人して信仰を告白する者だけに洗礼を授けることを強調するバプティスト派がある。さらに、以上の諸派とはかけ離れて、信条や職制や礼典とは無関係なキリスト者の交わりだけで存続しようとする「キリスト友会(ゆうかい)」(クェーカー)の群もある。
日本で近代的な最初の教会は、1872年(明治5)横浜に創立されたプロテスタント教会「日本基督(キリスト)公会」である。無教派主義を唱え、教会ではなく「公会」とよばれ、東京をはじめ各地に次々と設立されていった。これらの公会も、のち長老派教会と合同して「一致教会」(1882)となったり、京阪神の公会は組合教会となるなどして、日本においても、他の諸国同様に諸派教会が成立していった。その間、内村鑑三とその門下たちによる「無教会主義」non-church movementがキリスト友会に似通う側面をもちつつ発展し、日本におけるキリスト教界に特異な展開を示してきている。
[石田順朗]
教会の一致
教会が全世界において諸派に分かれている現実は、各様の歴史的経過を踏まえているとはいえ、基本的には、個人の信仰的良心と自由を尊重した結果であり、それなりに積極的な意義も認められてきた。しかし、キリスト教の伝道上、また教会の対社会的発言の影響力などを考えると、むしろこの教派的分裂は障害であり、問題視されるようになった。各派のそれぞれの立場を尊重しつつも、「聖なる唯一の公同にして使徒的教会」を諸教会間に再現しようとする動きがおこり、これが「エキュメニカル(教会一致)運動」とよばれるものである。この意味で、20世紀は「エキュメニズムの世紀」として、教会史上、特色づけることができよう。第二次世界大戦後、「世界教会協議会」World Council of Churches(WCC)が成立し(1948)、日本においても「日本キリスト教協議会」(NCC)なるものがエキュメニカル運動を促進していることは、「合同教会」(たとえば、南インド教会とか、日本の日本基督教団など)設立の動きと相まって注目すべきことである。
キリスト教会に所属する信徒の総数を推計することは容易ではないが、世界人口の約3分の1がキリスト教徒であり、その数約24億人のうち、半数の約12億人がローマ・カトリック教会に、約5億4000万人がプロテスタントに、約2億8000万人が東方正教会に属すると推定される。その他に3億人超のキリスト信徒が多くの諸教派に属していることになる(2014)。日本においては、キリスト教系の教会数(伝道所等含む)9347、信者数294万7765、このうち文部科学大臣所轄のプロテスタントに属する教会数5530、信徒数51万1193、カトリックに属する教会数1839、信徒数45万4582である(『宗教年鑑』平成26年版)。
[石田順朗]
『W・v・レーヴェニヒ著、赤木善光訳『教会史概論』(1969・日本基督教団出版局)』▽『関田寛雄著『教会』(1978・日本基督教団出版局)』