小諸藩(読み)こもろはん

百科事典マイペディア 「小諸藩」の意味・わかりやすい解説

小諸藩【こもろはん】

信濃国佐久(さく)郡小諸(現長野県小諸市)を城地とした藩。1590年仙石秀久佐久郡5万石に封じられて成立。仙石氏は1622年信濃上田に移り,甲斐国甲府藩主徳川忠長が併領するが,1624年松平久松)氏が5万石で入部,のち藩主は青山氏(3万石,1代)・酒井氏(3万石,1代)・西尾氏(2万5000石,1代)・石川氏(2万石,2代)と変遷。1702年牧野氏が1万5000石で入り,以後牧野氏が継いで10代康済(やすなり)のときに廃藩置県。徳川忠長を除いていずれも譜代大名。青山氏の代に御影(みかげ)堰・八重原(やえばら)堰などを開削,酒井氏の検地過酷を極め,のちに百姓一揆(芦田騒動)が生じたが,後代の村高の規範となった。牧野氏9代康哉(やすとし)は領民に種痘を施すなど善政で知られる。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

藩名・旧国名がわかる事典 「小諸藩」の解説

こもろはん【小諸藩】

江戸時代信濃(しなの)国佐久(さく)郡小諸(現、長野県小諸市)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩。藩校は明倫堂(めいりんどう)。仙石秀久(せんごくひでひさ)は小田原征伐功績をあげ、1590年(天正(てんしょう)18)に、豊臣秀吉(とよとみひでよし)から小諸5万石を与えられた。秀吉死後は徳川方につき領地は安堵(あんど)された。秀久は精力的に小諸城と城下町の建設に取り組んだが、あまりの酷使に一郡逃散(ちょうさん)を引き起こした。子の忠政(ただまさ)は民生安定に努めたが、1622年(元和(げんな)8)に上田藩へ移封(いほう)され、小諸藩は一時甲府藩預かりとなった。松平(久松)憲良(のりなが)が24年(寛永(かんえい)1)に4万5000石で入って以降は譜代藩となり、48年(慶安1)青山宗俊(むねとし)(3万石)、62年(寛文(かんぶん)2)酒井忠能(ただよし)(3万石)、79年(延宝(えんぽう)7)西尾忠成(ただなり)(2万7000石)、82年(天和(てんな)2)松平(石川)乗政(のりまさ)(2代・2万石)と交代した。次いで1702年(元禄15)に牧野康重(やすしげ)が1万5000石で入封、以後明治維新まで牧野氏10代が続いた。1871年(明治4)の廃藩置県により、小諸県を経て長野県に編入された。

出典 講談社藩名・旧国名がわかる事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「小諸藩」の意味・わかりやすい解説

小諸藩 (こもろはん)

信濃国(長野県)佐久郡小諸城を居城とした小藩。1590年(天正18)仙石秀久5万石の入封にはじまる。秀久の城郭拡張と小諸城下町建設工事の領民酷使は一郡逃散(ちようさん)をひきおこしたが,2代忠政は民政安定につとめ,1615年(元和1)年貢を貫高制から石高制に移行した。24年(寛永1)入封した松平忠憲(5万石)は総検地により貢租制度を整え,五郎兵衛新田などの新田開発を進めた。松平氏以後譜代藩となり,青山氏・酒井氏各3万石,西尾氏2万7000石,石川氏2万石と交代,この間に地方(じかた)知行制が廃され,78年(延宝6)には酒井氏の過酷な総検地が百姓一揆をひきおこした。1702年(元禄15)以降は牧野氏1万5000石で固定して10代つづき,年貢のうち5分の1の代金納と現物納分の上州松井田,倉賀野払いが定着し,40年(元文5)には幕府領にならって定免制を採用した。9代牧野康哉(やすとし)は財政改革や育児法,養老法,郷村復興仕法,種痘などの開明的施策で知られ,若年寄として幕閣に列した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小諸藩」の意味・わかりやすい解説

小諸藩
こもろはん

信濃(しなの)国小諸城(長野県小諸市)を居城に周辺を領有した小藩。1590年(天正18)仙石秀久(せんごくひでひさ)が佐久(さく)郡一円5万石で入封したことに始まる。秀久の領民酷使は一郡逃散(ちょうさん)を引き起こしたが、2代忠政(ただまさ)は民政安定に努め、従来の貫高(かんだか)制を石高制に改めた。1622年(元和8)忠政は上田へ転封、小諸は一時甲府宰相(こうふさいしょう)徳川忠長(ただなが)に属したが、24年(寛永1)松平忠憲(ただのり)が佐久、小県(ちいさがた)両郡内5万石で入封した。総検地が施行され、著名な五郎兵衛新田など4新田が開かれている。忠憲以降小諸は譜代(ふだい)藩に定まり、1648年(慶安1)青山宗俊(むねとし)3万石、62年(寛文2)酒井忠能(ただよし)3万石、79年(延宝7)西尾忠成2万7000石、82年(天和2)石川乗政(のりまさ)・乗紀(のりただ)2万石と交代した。78年には酒井の過酷な領内総検地で一揆(いっき)が起こっている。1702年(元禄15)牧野康重(やすしげ)1万5000石入封からは牧野氏が定着し、10代在封して廃藩に至る。1871年(明治4)小諸県を経て長野県に統合。

[古川貞雄]

『『新編物語藩史 第4巻』(1976・新人物往来社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小諸藩」の意味・わかりやすい解説

小諸藩
こもろはん

江戸時代,信濃国 (長野県) 佐久郡の一部を領有した藩。仙石氏5万石に始り,松平 (久松) 氏4万 5000石,青山氏4万 2000石,酒井氏3万石,西尾氏2万 5000石,松平 (石川) 氏2万石,牧野氏1万 5000石と変り,廃藩置県にいたる。牧野氏は譜代,江戸城雁間詰。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「小諸藩」の解説

小諸藩

信濃国、小諸(現:長野県小諸市)周辺を領有した譜代藩。小田原征伐で功績のあった仙石秀久が豊臣秀吉から5万石を与えられ入封したのが起源。寛永年間に入封した松平氏の時代に開発された五郎兵衛新田が有名。藩主はほかに、青山氏、酒井氏など。元禄年間の牧野康重の入封以降、明治維新まで10代にわたり牧野氏が統治した。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android