浜口町(読み)はまぐちまち

日本歴史地名大系 「浜口町」の解説

浜口町
はまぐちまち

[現在地名]博多下呉服町しもごふくまち中呉服町なかごふくまち

ひがし町の北、南北道に沿う両側町。南から浜口町上・浜口町中・浜口町下と並ぶ。南は中石堂なかいしどう町・官内かんない町の通り、北は浜口町浜はまぐちまちはま竪町浜たてまちはまの通りで画される(福岡博多近隣古図)。天文一一年(一五四二)の一一月六日付大友義鑑書状(大友家文書録/大分県史料三二)に「冷泉津興浜之内浜口」とみえ、大友義鑑領であるのに大内義隆が掠めようとしていると幕府に訴えている。慶長一五年(一六一〇)の御祓賦日記(神宮文庫蔵)に「はま口」の柴田松尾の二名、「そうしつまち」の清水・長治ら三名がみえる。この頃当町に居住した島井宗室にちなみ浜口町上を宗室町とも称していた。また海辺(浜口町浜)恵比須えびす(夷・戎)社があって、古くは恵比須町(夷町)とも称したという(石城志)。元禄三年(一六九〇)の家数は上二六・中三三・下三〇(続風土記)。明和三年(一七六六)には上の家数三五・間数一二六間余、中の家数四〇・間数一一二間余、下の家数三二・間数八四間余(石城志)。慶応二年(一八六六)の家数は上四一・中一七・下一六(博多店運上帳)

島井家は天正一五年(一五八七)豊臣秀吉が博多再興の町割を行った時、先祖の宗室が浜口町上に表口三〇間・入り三〇間の宅地を与えられ、諸役を免除されたという(「島井氏年録」島井文書)。ただし「続風土記」「石城志」では表口一三間半とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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