中呉服町(読み)なかごふくちよう

日本歴史地名大系 「中呉服町」の解説

中呉服町
なかごふくちよう

[現在地名]長浜市元浜町もとはまちよう

北国街道に沿う南北の両側町で、南は大手おおて町、北は西魚屋にしうおや町・東魚屋町に続く。慶安四年(一六五一)検地帳(川崎文書)によれば、「中呉服町東かわ」に屋敷地九があげられ、うち明屋敷一、「中ノ呉服町西かわ」に屋敷地一〇があげられる。元禄八年大洞弁天寄進帳では家数一九(借家一)、男三七・女三六で、町肝煎・町代・横目が置かれ、絹屋二・紙屋二・馬持二・糀屋二・唐傘屋・鏡屋・昆布屋・古手屋・桶屋がいた。

中呉服町
なかごふくまち

[現在地名]姫路市呉服町

姫路城南の外曲輪に位置する町人町中二階なかにかい町の南にある東西町筋。慶長六年(一六〇一)町割成立。寛永八年(一六三一)の那波宗顕譲状(前川家蔵那波文書)に「中ママふく丁」と記され、慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図に町名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報