恵比須町(読み)えびすまち

日本歴史地名大系 「恵比須町」の解説

恵比須町
えびすまち

[現在地名]鹿児島市上本町かみほんまち浜町はままちなど

戎町恵美須町とも書く。和泉屋いずみや町を北に折れた所に位置し、東は浜町、北はさかえ(地蔵町)くるま(鹿児島県地誌)かん町六町の一。「倭文麻環」に「鹿児島市中の元始は、恵比須町なり」とある。当町には恵比須神の祠が建てられていた。魚市が活況を呈し、その繁盛ぶりから武具等を販売するものなども出現し、二月二日の市を初市というほどになったという。

恵比須町
えびすちよう

[現在地名]函館市末広町すえひろちよう豊川町とよかわちよう

地蔵じぞう町の裏町蛭子町とも記した。万延元年(一八六〇)箱館全図では地蔵町二―三丁目の裏手(南側)の通りに「蛭子丁」とみえ、二丁目まである。弁天べんてん町の裏町を大黒だいこく町とよんだことから、地蔵町の裏町にあたる当地を恵比須町とよんだという(函館地名考)。明治五年(一八七二)二月に一町として公認され(同年「御達留」市立函館図書館蔵、「事業報告」第一編)、同九年の現住戸口は二三〇戸・一千三人(函館支庁管内村町別戸口表)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報