浜の館跡(読み)はまのやかたあと

日本歴史地名大系 「浜の館跡」の解説

浜の館跡
はまのやかたあと

[現在地名]矢部町城平

城平じようひらにある阿蘇大宮司家の館跡。南には五老ごろうたき(轟川)を隔てて岩尾いわお城跡がある。五老ヶ滝川ははた川とも称され、古くは当館の北を迂回していたが、近世になって川筋が変わったという(国誌)。「事蹟通考」などによると承元元年(一二〇七)惟次の代に本拠を阿蘇南郷から矢部のじんうちに移したとするが確証はない。館として確実に設置されたのは南北朝時代、惟時の頃であろう。

北朝方の惟村系と阿蘇郡を支配する南朝方の惟武系の対立は室町時代に入っても続き、宝徳二年(一四五〇)惟忠の代に一応一体化されたが、再び対立が起こり、文明一七年(一四八五)幕の平まくのだいら(馬門原)合戦での惟忠の子惟憲軍勝利によって阿蘇家の内紛終止符を打った。三代のちの惟豊の時には豊後の大友氏との関係が密接となり、甲斐宗運の協力も加わってその勢力は阿蘇・益城宇土うとの三郡のほか、肥後国外にも及び、浜の館は政庁として機能した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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