浅川浦(読み)あさかわうら

日本歴史地名大系 「浅川浦」の解説

浅川浦
あさかわうら

[現在地名]海南町浅川

現町域の南東部に位置し、東に開く入江に臨む。土佐街道筋で、一里松が設けられていた。地内に浅川(桑野)兵庫頭有辰を主将とする浅川城があり(三好家成立記)、天正一〇年(一五八二)頃に落城したと伝える(城跡記・古城諸将記)。越前国福井ふくいの出である渡辺家は五右衛門の代に海部郡に入り、浅川のうち鰺呂あじろ崎のいそ浦という家数一千軒ほどの漁浦に居住し、年寄役を勤めていたという(「浅川浦取立覚」御大典記念民政資料)。慶長二年(一五九七)の分限帳に「浅川」とあり、高六五〇石余が益田宮内丞の知行分。慶長年間のものと推定される国絵図に「あさ川」とみえるが、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では浦名の記載はなく、浜分とあるほか、地内の「浦上村」「大田井村」「阿ハ浦」「いせた村」「さはせ村」が記される。正保国絵図では浅川浦として高七一一石余で、浅川のうちとして伊瀬田いせだ村・粟野あわの村・新川にいかわ村・佐波瀬さばせ村・大田おおた村が記載される。また浅川入海は広く深く、東風には不都合ながら北西風・南風には舟懸りがよいと記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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