泉新田(読み)いずみしんでん

日本歴史地名大系 「泉新田」の解説

泉新田
いずみしんでん

[現在地名]栄町泉新田

信濃川がなかくち川と分流する右岸の村で、東は今井野いまいの新田、南は貝喰かいばみ川を挟んで貝喰新田に接する。元禄一一年(一六九八)の新田年号并枝村方角道法付(新発田市立図書館蔵)には、尾崎おさき新田枝村として慶安元年(一六四八)に開発されたとみえ、「三条入野へ入組候」と付記される。案詞帳(新発田市史資料)によれば、寛永一九年(一六四二)茂兵衛ら三人に対し新発田藩役人から、尾崎分野谷内と新堀分はりの木谷内のうち、林のない所の開発許可が下り、鍬下年季は三年とされている。

泉新田
いずみしんでん

[現在地名]小山市南和泉みなみいずみ

野田のだ村の南西に位置し、元禄郷帳・天保郷帳によれば同村の枝郷であった。和泉新田とも記される。寛文六年(一六六六)下総古河藩領として開発され、正徳二年(一七一二)幕府領、享保二年(一七一七)より壬生藩領。明治三年(一八七〇)の開発覚書(石塚利文書)によれば高二五八石余、田一二町八反余・畑五六町六反余であるが、開発当初の村高とみられる古高は二四〇石余。

泉新田
いずみしんでん

[現在地名]六日町泉新田

泉村の西と南、西の魚野うおの川対岸は宇都野うつの新田、南は新堀にいぼり新田。泉村の枝村。寛永九年(一六三二)開墾という(新編会津風土記)正保国絵図に「泉新田村」とあり、高二七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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