沢差城跡(読み)さわさしじようあと

日本歴史地名大系 「沢差城跡」の解説

沢差城跡
さわさしじようあと

[現在地名]秋芳町大字嘉万 麓

中世、大津おおつ深川ふかわ(現長門市)の領主鷲頭氏が、嘉万の有等市かまのありといち北西じよう(石楠山)山上に築造した支城といわれるが、遺構は未確認である。

「注進案」所引の長州美祢郡山王社略縁起は「弘安乙酉大内持世家臣鷲頭弘忠、領此地迫石楠山築城営」とし、弘安八年(一二八五)の築城時にこの地にあった日吉山王ひえさんのう社を、東方の如意によいヶ岳山麓に移したと記す。さらに「沢差と申由緒不分明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報