嘉万村(読み)かまむら

日本歴史地名大系 「嘉万村」の解説

嘉万村
かまむら

[現在地名]秋芳町大字嘉万・大字別府べつぷ

現秋芳町の北西部を占め、秋吉あきよし台の北から西に位置し、四方を山に囲まれた盆地の中にあり、他郡他村への出入りはすべて峠越である。村内のやや北に如意によいヶ岳(五四五・四メートル)がそびえ、厚東ことう川が南流する。萩から厚狭あさ下津しもつ(現山陽町)に至る脇街道が村内を東西に通り、この街道に沿って一里塚が四ヵ所、小送り場が三ヵ所にあった。村は地形上北から八代やしろ本郷別府に三分され、本郷は如意ヶ岳以南の地で、条里遺構が残る水田地帯で、俗に「嘉万八千石」と称された地である。八代は大津郡境の山脈に沿い、東西に細長い長谷をなし、別府は灌漑水系を厚東川に依存しない南部地域である。

古代は「和名抄」記載の「賀万郷」の地とされ、「延喜式」にみえる古代の陰陽連絡路は村内を通る。

下嘉万八幡宮旧蔵の大般若経の奥書に、応永三年(一三九六)五月、大内義弘香積こうしやく(跡地は現山口市)に写経料所として賀万別府かまべつぷの公文名を寄進したことが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報