池浦村(読み)いけうらむら

日本歴史地名大系 「池浦村」の解説

池浦村
いけうらむら

[現在地名]泉大津市池浦町一―五丁目・下条げじよう町・みや町・寿ことぶき町・池浦・我孫子あびこ

豊中とよなか村の西に隣接。弥生前期から中期、古墳時代の集落遺跡である池浦遺跡がある。この遺跡から発見された前期の弥生式土器には北九州のものと同じものがみられる。また炭化米も発見され、すでに稲作農業が展開していた。中世我孫子あびこ郷に属したとみられる。文禄三年(一五九四)太閤検地に際し、六尺五寸竿で一反が二五〇歩の検地を受けたといい(天保二年「村明細帳」森田家文書)、慶長一〇年(一六〇五)の和泉国絵図では我孫子村一千二二一石余に含まれた。

池浦村
いけうらむら

[現在地名]宗像市池浦・樟陽台しようようだい一―二丁目・ひかりヶおか四丁目

つり川中流右岸に位置する。北は池田いけだ村、西は吉田よしだ村・多礼たれ村。「宗像大菩薩御縁起」に「池浦山王」がみえ、正平二十三年宗像宮年中行事(宗像大社所蔵文書/神道大系神社編四九宗像)にも「池浦山王社」が載る。当地山王神社にあたる。元禄国絵図に多礼村の枝郷として村名がみえ、天保郷帳でも同村枝郷として高付されている。元禄一〇年(一六九七)頃の郷帳(九州大学法学部図書室蔵)に、元禄七年三七九石余の田畠高がわかったので今度国絵図・郷帳に高分り枝郷として書上げると記される。

池浦村
いけうらむら

[現在地名]西山町池浦

北は下山田しもやまだ村・田沢たざわ村、南は二田ふただ村、東は藤掛ふじかけ村、西は礼拝らいはい村と北寄りに下山田村平地で連なり、別山べつやま川が西に流れる。元和二年(一六一六)より椎谷藩領。正保国絵図に高一六三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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