日本大百科全書(ニッポニカ) 「池坊専好(2代)」の意味・わかりやすい解説
池坊専好(2代)
いけのぼうせんこう
(1570―1658)
いけ花流派池坊の第32世で立花(りっか)の名手。近衛家煕(このえいえひろ)の言行を集録した『槐記(かいき)』には、「立花ノ中興ハ専光(好)ニ止マリタリ、専光ヲ名手トス」と称されている。2代専好には200点に余る立花図が曼殊院(まんしゅいん)、池坊家元、陽明(ようめい)文庫などに残され、立てた場所、年月日の明らかなものだけでも百数十点に及んでいる。これは、2代専好が後水尾(ごみずのお)天皇(上皇)の特別な愛顧を被り、宮中立花の指導者であったからで、天皇や門跡(もんぜき)や公家(くげ)たちが、稽古(けいこ)の範として絵師に命じてその立花図を写しとったものと考えられる。2代専好の活躍した最盛期は寛永(かんえい)期(1624~44)を頂点とし、寛永6年(1629)閏(うるう)2月5日と寛永6年七夕(たなばた)に催された「紫宸殿御立華(ししんでんごりっか)」会はとくに名高く、後水尾天皇以下諸公卿(くぎょう)の出瓶(しゅっぺい)があり、前者の会は『槐記』のなかで、「秀吉ノ大茶湯後ノ一大壮観ナリ。専光(好)カ桜一色ト云(い)フコトハ此時ヨリ始マリケル」と記述するほどであった。このように2代専好は立花を完成させた名人であるばかりでなく、公武にいけ花を介して交誼(こうぎ)を結び、池坊の地歩を不動のものとした。彼は立花を単なる座敷飾りとせず、一瓶一瓶が独立した鑑賞に堪えるものとして構成したところに、その最大の特色がある。
[北條明直]
『華道家元池坊編『池坊専好立花名作集』『池坊専好立花名作集 解説』(1976・日本華道社)』