江南町(読み)こうなんまち

日本歴史地名大系 「江南町」の解説

江南町
こうなんまち

面積:二二・八八平方キロ

明治二九年(一八九六)成立時の大里郡南端東寄りに位置し、現在北と東は熊谷市、西は川本かわもと町、比企郡嵐山らんざん町、南は同郡滑川なめがわ町に接する。東流する荒川中流部右岸の扇状地に広がる町域は、東流する和田吉野わだよしの(古くは吉野川)以北沖積低地、和田川以南の丘陵地、両川の間の洪積台地(江南台地とよばれる)に三区分され、北部の水田地帯、中央部の関東ローム層台地の畑と平地林、南部の谷頭溜池による水田および林地という特色ある土地利用がみられる。東端を県道武蔵丘陵森林公園―広瀬ひろせ線、玉川たまがわ―熊谷線、西部を主要地方道深谷―東松山線が縦断し、北部を県道富田とみだ―熊谷線、中央部を主要地方道熊谷―小川おがわ―秩父線が横断する。町名は、古くからこの地方が江南(荒川南岸の意)と称されていたことによる。江南台地は浸食谷が多く、開発の歴史は古い。旧石器時代の遺物も発見されており、数多い遺跡のなかでも、四世紀代から七世紀代にわたって築造されたしお古墳群は七支群に分れて展開している。このうち狸塚むじなつかの丘陵上に構築された狸塚支群(県指定史跡)は、前方後方墳二・方墳二四で構成されている。

江南町
えなみちよう

[現在地名]近江八幡市江南町

永原町元ながはらちようもとの東、東から数えて二筋目の博労町ばくろうちよう通に沿う縦町で、両側町。北は大杉町おおすぎちよう通、南は京街道きようかいどう通を限る。「輿地志略」では江南町三町とあるが、一町の誤り。町名は八幡城下形成以前の地名に由来するという説や当地に居住した豪商名によるとの説があるが不詳(八幡町史)。元禄期(一六八八―一七〇四)以降の畑屋敷高は五石余(「八幡町屋敷畑高覚帳」近江八幡市共有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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