新田岩松氏(読み)にったいわまつうじ

世界大百科事典(旧版)内の新田岩松氏の言及

【岩松氏】より

…新田岩松氏ともいう。開祖時兼は,足利義純と新田義兼の娘を両親とし,母の新田尼から譲られた上野国新田荘岩松郷以下の地頭職に,1224年(貞応3),26年(嘉禄2)に補任された。…

【上野国】より

…幕府に代わった後醍醐天皇の建武政府の中で,新田義貞は上野,播磨,越後の国司(守護兼帯)となり,六波羅探題を滅ぼした足利尊氏とともに,二大勢力の一方を形成したが,やがて尊氏と後醍醐天皇との対立が明確になると,天皇方(南朝)に属して各地を転戦し,38年(延元3∥暦応1)に越前藤島で戦死する。これに先んじて上野を制圧した足利方は,上杉憲房を上野守護に任じ,多くの武士は上杉氏に服し,義貞なき新田荘は新田義兼の女と足利義純の間に生まれた時兼を祖とする新田岩松氏によって継承された。一方,南北朝内乱の初期において,足利方の優位が決定的となった14世紀中葉に,足利氏内部に尊氏と直義を二つの頂点とする勢力の対立が起こり,51年(正平6∥観応2)観応の擾乱(じようらん)が起こる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」