毛利宗広(読み)もうり むねひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利宗広」の解説

毛利宗広 もうり-むねひろ

1717-1751 江戸時代中期の大名
享保(きょうほう)2年7月6日生まれ。毛利吉元の6男。享保16年(1731)長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利家6代となる。稲の虫害などの災害がつづき,藩財政が悪化山内広通(ひろみち)をもちいて藩政改革につとめた。寛延4年2月4日死去。35歳。

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防府市歴史用語集 「毛利宗広」の解説

毛利宗広

 萩藩の6代藩主です。宗広には世継ぎ[よつぎ]がいなかったので、世継ぎが生まれるまで、長府[ちょうふ]藩主の毛利重就[もうりしげたか]をその間の世継ぎにしていました。結局、世継ぎが生まれないまま亡くなってしまい、重就が萩藩の藩主になります。

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367日誕生日大事典 「毛利宗広」の解説

毛利宗広 (もうりむねひろ)

生年月日:1717年7月6日
江戸時代中期の大名
1751年没

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