武雄(市)(読み)たけお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「武雄(市)」の意味・わかりやすい解説

武雄(市)
たけお

佐賀県南西部、温泉のある市。1954年(昭和29)武雄町と朝日、若木(わかき)、東川登(ひがしかわのぼり)、西川登、武内(たけうち)、橘(たちばな)村の杵島(きしま)郡1町6か村が合併して市制施行。2006年(平成18)山内(やまうち)、北方(きたがた)の2町を合併。すでに10世紀には武雄神社の名がみえる。市域は玄界灘(げんかいなだ)と有明(ありあけ)海両斜面にまたがる。唐津(からつ)湾に注ぐ松浦(まつうら)川水系に川古(かわご)、真手野(まての)の盆地が、また有明海湾奥に注ぐ六角(ろっかく)川水系には武雄、川登盆地などが分布する。中央部の広い武雄盆地には、JR西九州新幹線、佐世保(させぼ)線が通じ、武雄温泉、高橋、北方、永尾、三間坂の5駅がある。武雄温泉駅付近に中心市街地が形成され、その西端で国道34号から35号が分岐する。また、長崎自動車道と西九州自動車道が武雄ジャンクションで接続し、498号が市の中央を南北に走る。武雄盆地は古来交通要衝の地で、古代の官道や近世の長崎街道も通り抜けた。有明海の潮汐(ちょうせき)の影響が、六角川をさかのぼり武雄盆地東部にまで及び、高橋はかつて河港でにぎわったが、鉄道の開通によりさびれた。今日中心市街地をなす近世の湯町は、武雄鍋島(なべしま)家が館(やかた)を構えた御船(みふね)山北麓(ろく)に近く、近世後期には長崎街道の塚崎宿(つかざきしゅく)をもなした。明治以後は、とくに軍港佐世保や周辺の炭鉱などを背景に温泉観光地として、また県西部の中心地として発展。工業機能は弱く、米、ミカン、野菜、茶、畜産などの農業の複合経営が進んでいる。史跡、名勝、伝統芸能などにも富み、近年、観光文化都市としての性格を強めている。おつぼ山神籠石(こうごいし)と黒牟田(くろむた)などの肥前陶器窯跡(ひぜんとうきかまあと)は国指定史跡。広福護国禅寺の木造四天王立像は国指定重要文化財。川古のクス、黒髪山県立自然公園(くろかみやまけんりつしぜんこうえん)にあるカネコシダ自生地は国指定天然記念物。国指定重要無形民俗文化財の武雄の荒踊をはじめ、真手野の舞浮立(まいぶりゅう)、武雄神社秋祭の流鏑馬(やぶさめ)行事などが知られる。温泉楼門と武雄温泉新館(ともに辰野金吾(たつのきんご)設計で国指定重要文化財)、ツツジの名所御船山楽園、御船ヶ丘梅林のほか、保養村、文化会館などがある。各地窯元に伝統的陶芸がみられる。東部にある杵島山には勇猛(いみょう)寺や永池(ながいけ)古墳がある。面積195.40平方キロメートル、人口は4万7914(2020)。

[川崎 茂]

『『武雄市史』上・中・下(1972~1973・武雄市)』


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